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2007/12/14


大汝牟遅神社 流鏑馬 oomunachi-jinja Yabusame 

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 鹿児島県日置市の吹上町に、天照大神の孫である邇邇芸命(ににぎのみこと)がしばらく宮居されたという伝説があり、大和の国の三輪神社の御祭神である大汝牟遅神(おおなむちのみこと)を迎えて祀ったのが大汝牟遅神社である。この神社で一一月二三日に奉納されるようになったのが、流鏑馬である。
 日新公と呼ばれる伊作島津家一〇代・忠良が加世田城攻略の時、これが叶えられたら毎年の流鏑馬の奉納をすると約束祈願し、天文七(1538)年、城攻めに勝利した。
 吹上町の流鏑馬は、宮内地区の大汝牟遅神社横にある馬場参道で、二名の射手によって交互に三回ずつ的を射る方法でおこなわれる。
 射手は宮下家・宮内家の両家の世襲制である。近年は流鏑馬保存会が結成され、地域の人々によって受け継がれている。
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2007/7/31


薬莱神社三輪流神楽 Yakurai-jinja-miwa-ryuu-kagura Yakurai Jinja Miwaryu Kagura

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 薬莱神社三輪流神楽(やくらいじんじゃみわりゅうかぐら)は、宮城県加美町の古社、薬莱神社に古くから伝わる伝統芸能である。
 修験者たちが行ってきた法印系の神楽で、源となる三輪流は推古天皇の時代のものといわれるほどの歴史を持つ。
 奥州探題以来、この地に構えた大崎氏など社人たちで舞われていたが、現在は氏子の有志の手で行われ、同神社宮司である大宮家で管理されている。
 天和三(1683)年には仙台藩四代藩主伊達綱村の命を受け、伊達氏の氏神である亀岡八幡神社に神楽を伝授、その後、監竈神社にも奉納を命じられ、派生を生み出している。
 宮城県内において類似の神楽は存在せず、貴重な文化遺産であることから昭和五三(1978)年に県指定無形民俗文化財となり、以降、薬莱神社三輪流神楽を正式名称とすることとなった。
 現在は春の春季大祭と秋の新嘗祭で舞われ、薬莱を中心とする固有の信仰を今に伝えている。
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2007/3/12


長尾神社 Nagao-jinjya Nagao Shrine

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 長尾神社は、奈良県葛城市長尾にある神社である。祭神は、水光姫命(みひかりひめのみこと)、白雲別命(しらくもわけのみこと)。
 当麻路一帯を代表する地名が長尾で、その長尾氏の氏神であったとされるが、定かではない。
 伝説では、大和高田の竜王社(石園座多久虫玉神社)は竜の頭であり、長尾神社は竜の尾をあらわしていると伝えられている。
 また、長尾神社は大蛇、つまり巳の尾で、三輪明神は巳の頭であるとも伝えられている。
 長尾神社は、そんな太古からの伝説に登場する古社であり、かつて飛鳥京と難波を結ぶ日本最古の官道だった竹内街道と、伊勢・長谷街道が長尾街道と交差する長尾の森に鎮座している。
 社域は4千坪ほどで、社叢(社寺林)が素晴らしく、そこに立てば、自ずと厳かな気持になる。
 長尾神社は、何とも言えない神聖な雰囲気を持つ、聖地である。
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2007/2/27


金屋の石仏 Kanaya-no-sekibutsu Stone Buddhist Statues in Kanaya

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 金屋の石仏は奈良県桜井市、三輪山の南麓、金屋集落に置かれた二体の石仏のことである。
 平安時代後期から鎌倉時代の作とされる。共に高さ2・1メートル、幅83センチ、厚さ21センチの泥板岩に浮彫りされたもので、石棺の蓋を用いた石棺仏。国指定の重要文化財である。
 元々は平等寺に安置されていたが、明治期の廃仏毀釈で破壊されるところを村人の手により保護され、現在の小堂へ移された。
 向かって左が弥勒菩薩像、右が釈迦如来像。流れるような線を描く薄肉彫りに豊満な体躯が印象的で、版画家、棟方志功が大変感動したと言われる石仏である。
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大神神社 Omiwa-jinja Omiwa Shrine

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 大神神社(おおみわじんじゃ)は奈良県桜井市、三輪山の麓に位置する神社である。別名を三輪明神。
 崇神天皇の世に大物主大神を祀ったのが創建とする伝承があり、日本最古の神社とも言われる。
 祭神の大物主大神は三輪山に座しているとされ、三輪山そのものが御神体であり、本殿は無い。山中には多くの巨石が残り、古代の祭礼地とされる。
 明治時代までは禁足の地とされ、拝殿の三ツ鳥居から先は入山が許されなかった。現在は摂社の狭井神社で許可を取れば可能だが、飲食、撮影一切を禁じる厳しい規則がある。
 国造りの神として、全ての産業と生活全般のご利益があるとして多くの参拝客を招いている。
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桧原神社 Hibara-jinja Hibara Shrine

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 桧原神社は奈良県桜井市、三輪山の麓に位置する神社であり、大神神社の摂社の一つ。
 崇神天皇の皇女、豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)が、天照大御神自身とされる八咫鏡を祀った倭の笠縫邑(やまとのかさぬいむら)の地とされ、元伊勢とも称される。
 八咫鏡はその後、伊勢国内、五十鈴宮に移された。大神神社の摂社となった後も天照大御神を祭神としている。
 本殿が無く、大神神社と同じ三ツ鳥居が三輪山の正面に立ち、山自体が御神体である。境内の入り口の鳥居は二本の柱にかけられた縄で造られた古式のもの。
 万葉集を始め、多くの歌に「三輪の檜原」と詠まれた地であり、いにしえの幽玄の空気を今に残す。
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平等寺 Byoudou-ji 

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 三輪山平等寺は奈良県桜井市、三輪山の麓に位置する曹洞宗の寺院。大神神社の神宮寺でもあった。
 敏達天皇十(581)年に聖徳太子により「大三輪寺」として開山されたと伝えられる。平安時代、弘法大師により遍照院と変名、鎌倉時代中期に慶円上人により現在の平等寺に改められ、大いに繁栄した。明治期に廃仏毀釈のために衰退するが、近年復興を果たしている。
 慶長五(1600)年には、関が原で敗れた薩摩藩主、島津義弘が祈祷寺の縁を頼り、一時滞在をしている。
 本尊の十一面観世音菩薩は聖徳太子が祈願満了と平和を祈願して刻んだものとされる。
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玄賓庵 Genpi-an 

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 玄賓庵は奈良県桜井市、三輪山の麓に位置する真言宗醍醐派の寺院。
 延暦元(782)年に興福寺の前身である、山階寺の玄賓僧都が隠棲した庵が始まり。後に荒廃したが寛文七(1667)年に比久宴光により復興、明治時代の神仏分離により三輪山の檜原谷から現在の場所に遷移した。
 開基の玄賓は平安時代の僧であり、桓武天皇の病気平癒を行い、これを快癒させたことで、大僧正の地位を任じられながらも辞退した高僧。
 謡曲「三輪」にも登場し、玄賓庵を訪れた三輪明神の化身である女性の悩みを聞いている。
 三輪明神に与えた衣がかかっていたとされる「衣掛杉」が大神神社の境内に残り、高僧の徳を今に伝えている。
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