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2007/11/12


魚板 Gyoban Gyoban (Fish Drum)

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 魚板(ぎょばん)とは、巨大な木製の魚であり、叩いて時間を知らせるための法具である。
 日本では主に禅宗系の寺院などでよく見受けられ、木魚の原型であるとされている。
 これは、木魚のようにお経や真言を唱える時の、調子をとる為に使われるのではなく、行事や法要、儀式の始まりを山内の皆に報せる為に打ち鳴らされるものである。
 魚の形をしているのは、魚は日夜を問わず目を閉じない事から、修行に精進することの象徴であったためとされる。明代には、現代の木魚の形が確立している。
 その呼び名は魚板以外にも魚鼓(ぎょこ)、木魚鼓(もくぎょく)、邦(ほう)とさまざまで、魚の形の法具としては、木魚よりも魚らしい形をしているといえる。
 魚板は、現在でも使用されている、合図のための法具である。
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2007/9/4


白浜神社例大祭 火達祭 Shirahama-jinja-reitaisai Hitachi-sai Hitachi Festival at Shizuoka Shirahama Shrine

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 伊豆半島の先端、下田市にある白浜神社(しらはまじんじゃ)は、正式名を伊古奈比咩命神社(いこなひめのみことじんじゃ)といい、伊豆最古の宮として知られる。伊古奈比咩命、三嶋大明神、見目、若宮、剣の御子の五柱を祀る。二千四百年前、三嶋大明神が黒潮にのって伊豆へ到着し、お供の見目、若宮、剣の御子の進言により加茂の姫神である伊古奈比咩命を后として迎え、白浜の地に宮を構えたという。
 「火達祭(ひたちさい)」は、毎年一〇月下旬に三嶋大明神の祭典が始まることを伊豆七島の神たちに知らせる合図として、火祭りを行うものである。
 祭典前夜に伊豆七島を表した井桁に点火。かがり火を灯し、玉串の奉納後、背後の花火が点火され吹き上がる。そろそろ火も消えかけた頃、最後に大きな打ち上げ花火が夜空を彩る。
 翌日は大のぼりの下、境内は出店で賑わいを見せ、白浜太鼓や下田市無形文化財「三番叟(さんばそう)」の舞が一般公開される。


 
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2007/7/24


伊万里トンテントン Imari-tontenton Imari Tontenton Festival

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 伊万里トンテントン(いまりとんてんとん)は、佐賀県伊万里市の伊萬里神社にて毎年10月22日夜から24日にかけて行われている祭りである。
 伊萬里神社の御神幸祭であり、伊万里供日(いまりくんち)とも呼ばれ、日本三大喧嘩祭りのひとつにも数えられる。
 期間中、伊万里の街は、トンテントンの太鼓の音で祭り一色に染まり、市内の数ヶ所で合戦絵巻を繰り広げる。
 おごそかに神幸する白神輿・赤神輿の後にそろいの法被にねじり鉢巻姿の若者たちによって担ぎ出される荒神輿と団車が、トン・テン・トンと打ち鳴らす太鼓を合図に、双方激突し組み合う壮烈な喧嘩祭りは、全国でも類を見ない。
 祭りのクライマックスに行われる「川落し合戦」では、双方組合ったまま、川に落ち陸に早く引き上げられた方が勝ちとなる。
 伊万里トンテントンは、勇壮で壮観な、伝統の祭りである。
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2007/7/19


飯坂けんか祭り Iizaka-kenka-matsuri Iizaka Kenka Festival

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 飯坂(いいざか)けんか祭りは、福島県福島市にある八幡神社の祭礼で、大阪・岸和田の「地車(だんじり)」、秋田・角館(かくのだて)の「飾山(おやま)ばやし」とともに「日本三大けんか祭り」のひとつに数えられている。
 毎年10月1日から3日まで開催されるこの祭りのハイライトは、2日の宮入り。午後7時半の花火を合図に、鮮やかな提灯に彩られた6台の太鼓屋台が、御旅所(おやすみどころ)を出発。勇ましい太鼓の音と掛け声とともに、町を練り歩く。神輿が境内に入り乱れると、神輿の宮入りを阻止しようと、屋台が激しくぶつかり合う様は迫力満点だ。絶え間なく乱打される太鼓の音と夜空を焦がす提灯の灯りが、祭りをさらに盛り上げる。
 飯坂けんか祭りは、300余年の歴史を持つ、勇壮・豪快な祭りである。
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2007/7/3


刈和野の大綱引き Kariwano-no-ootsuna-hiki 

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 毎年旧暦一月一五日、新暦の二月一〇日の夜、刈和野の大町通りは、引き手のかけ声と観客の歓声とで興奮のるつぼと化す。「刈和野の大綱引き」である。
 上町・下町の2町に分かれた数千人の「刈和野衆」が100mを越す大綱に取り付き、建元(たてもと)と呼ばれる両町のリーダーの合図で一斉に大綱を引き始める。「ジョーヤサノー、ジョーヤサノー」という威勢のいい掛け声に合わせ、双方が波打つように綱を引き合う。
 大綱は上町側を雄綱、下町側を雌綱と呼び、それぞれ64m、50mの長さ。太さはそれぞれ80cm前後もあり、重量はそれぞれ約10トンにもなるという。
 祭りが始められた当初は、町の市場の開設権をめぐる勝負であったとされるが、現在では観光の意味合いが強くなって、上町が勝つと米の値段が上がり、下町が勝つと豊作になると言われるようになった。
 五百年以上の伝統を誇ると言われるこの大綱引きは、刈和野の伝統行事として国の重要無形民俗文化財の指定を受けている。
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2007/6/12


大俵引き Ootawara-hiki 

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 大俵引き(おおたわらひき)は、福島県河沼郡会津坂下町で、毎年1月第2土曜日に行われる祭りである。
 江戸時代初期の寛永二(1625)年ごろには始まっていたと新編会津風土記には記されている。
 市神様の前で上町・下町に分かれて「米俵引き」を始め、上町が勝てば米の相場が上がり、下町が勝てば下がると占ったのが伝統行事として続けられた。
 明治に入って中断していたが、昭和三〇年の町村合併を機に、五穀豊穣、商売繁盛の祈願を込めた正月行事として復活した。
 厳寒の中、下帯一つの裸の男たちが大太鼓の音を合図に直径3m、長さ5m、重さ3トンの巨大な俵を両側から太い綱で引き合う様は見るからに勇壮である。
 近年はその前後に、俵太鼓の演奏や、鏡割り、福餅つき、福俵365個まきなどの行事が加わり大勢の人出で賑わっている。
 大俵引きは、日本有数の奇祭として人々に親しまれている。
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2007/5/2


火伏せの虎舞 Hibuseno-toramai 

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 火伏せの虎舞(ひぶせのとらまい)は、宮城県加美郡加美町にて行われる祭である。昭和49年、宮城県無形文化財に指定された。
 旧中新田地区は、春先に奥羽山脈から吹き付ける強風のために、度々大火に見舞われていた。
 延元四(1339)年、「雲は竜に従い、風は虎に従う」の故事に倣い、防火祈願として火伏せの虎舞が始まったという。
 祭りは、午前7時の花火を合図に華やかに飾り付けた山車が町内に繰り出し、虎に扮した子供達が早朝から各戸を回って防火を祈願する。
 商店街では酒造店旧店舗の屋根で、数組の虎が舞を披露する。
 現在は高校生や消防団員による笛太鼓のお囃子にあわせ、町内の中学生によって、毎年4月29日に演じられている。
 火伏せの虎舞は、勇壮でにぎやかな、伝統の祭である。
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2007/4/13


石川 銅鑼 Ishikawa dora Ishikawa Bronze Gong

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 銅鑼(どら)は、石川県に古くから伝わり、四百年もの歴史を持つ伝統工芸である。
 銅鑼は古代ジャワ、スマトラの南方民族の打楽器にはじまり、中国、朝鮮を経て日本に伝来したものとされている。
 日本では出船の合図や茶の湯で使われ、石川県の金沢では安土桃山時代の茶の湯の流行に伴い、製作されるようになった。
 金沢の地で銅鑼の製作に打ち込んだのは人間国宝の魚住為楽氏であった。彼は仏具の中の砂張(さはり)の鈴の鋳造方法にヒントを得て銅鑼製作を始め、その音響は絶賛の対象となったという。
 銅鑼は他の工芸品とは異なり、音色を生命とする楽器。魚住為楽氏の造る銅鑼は、余韻を残して響くその音色が絶妙で素晴らしい。材料の砂張は、金属鋳物の中で最も鋳造が難しいと言われる鋼と錫の合金で、配合のバランスが音響の質の決め手となる。現在では、三代目魚住為楽氏がその技を継承しているという。
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