NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/7/27


天皇寺 Tennou-ji 

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 天皇寺(てんのうじ)は、宮城県黒川郡大和町吉岡にある臨済宗の寺である。
 元和二(1616)年、天皇寺は、吉岡城の完成とともに鶴巣下草から現在地に移された。
 初代吉岡城主は伊達政宗の三男宗清で、三万石の城下町吉岡を開府。その養母が飯坂の局である。
 吉岡の礎を築いた宗清は35歳という若さで病死し、また養母として政宗に託された飯坂の局も24年間を大和町で宗清と共に生きた末、役目を終えたかのように宗清と同年に亡くなったという。
 境内には、伊達宗清の墓と、飯坂の局の供養塔である五輪の塔が建っている。
 墓地には大和田佐渡以下七名の殖死者や、吉岡宿本陣の千葉家本家・分家の墓も並んでいる。
 天皇寺は、伊達宗清とゆかりの深い歴史ある寺である。
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2007/5/18


岐阜 千代保稲荷神社 Gifu Chiyobori-jinja 

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 千代保稲荷神社(ちよぼいなりじんじゃ)は、源氏が滅びた約五百年前に、森八海がこの須脇の里を開き、源義家から授けられた源氏の霊璽を祀ったのが始まりとされる。現在では日本三大稲荷の一つとして知られ、「おちょぼさん」の愛称で親しまれている。
 社殿の入口近くに、お供え用の酒と油揚げの売店があり、藁に通された三角の油揚げが売られている。参拝者はこの油揚げをお供えして、商売繁盛などのお願い事をする。お供え物が拝殿の前にどっさり並べられている様は、普通の神社ではなかなか見られない風景。稲荷の「ナリ」は物や生命を生み出す神の事で、農業や商売繁盛に関係があるようだ。
 ここは大祖大神、稲荷大神、祖神が祀られており、名前の由来は八幡太郎の六男・義隆が分家する時、祖先の霊璽、宝剣、義家の画の三点を「先祖の御霊を千代に保て」と賜ったのが始まりとされる。
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2007/1/25


十日恵比寿神社 Touka-ebisu-jinja Toka Ebisu Jinja Shrine

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 十日恵比寿神社は、福岡県福岡市博多区にある恵比寿と大黒を祀る神社である。
 香椎宮大宮司家の武内五右衛門は分家して博多で商売を営んでいたが、天正十九(1591)年、香椎浜に流れついた恵比須神の神像を持ち帰り祀ったところ、家運が隆盛した。そのため多くの人が商売繁昌の神として参拝するようになったので、元禄三(1690)年に社殿を設けた。
 祭神は事代主神(えびす様)と大国主神(だいこく様)。商売繁昌、家内安全、無病息災にご利益があることで知られている。
 毎年1月8日〜11日までは正月大祭が行われ、期間中の参拝者は100万人にもなる。中でも、かち詣りは、三味、笛、太鼓での十日えびすの唄を先頭に博多芸妓たちが行列、徒歩で神社に参拝し、一年の開運、商売繁昌の祈願をする華やかな催しである。
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2007/1/24


下時国家 Shimo-tokikunike Shimo-Tokikuni House

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 平家の子孫、平時国(たいらのときくに)を祖とする家。壇ノ浦の合戦後、平家の武将、平時忠(たいらのときだた)は能登に流され、その後、輪島に移り住み、時国家(ときくにけ)の祖となる平時国が生まれたとされている。
 時国は平家を捨て、姓を時国とした。貧困に喘ぐ輪島の農村・農民を助け、人心を得てこの地の豪農となり、江戸時代には、庄屋として名字帯刀を許可された。
 十三代籐左右衛門時保の時、次男の千松が分家、下時国家を名乗る。藩の山役や塩吟味役などを勤め、本家とともに繁栄した。
 現在の住宅は寛文十(1670)年、分家の時の建築、と言われているが確証はない。
 奥能登農家の大型の家屋で、土間が広いのが特徴である。庭園も国指定の名勝。
 壇ノ浦の戦いで命を落とした安徳天皇を祀り、能登安徳合祀時国家とも呼ばれる。
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