NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/1/24


肥後鐔 Higo-tsuba 

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 「肥後鐔(ひごつば)」とは、江戸時代に肥後の国、熊本県八代市で作られた刀の鐔である。
 熊本の金工芸では「肥後象がん」が知られているが、この象がんの技術を発展させるきっかけとなったのが、刀の鐔をはじめとした刀装金具の制作だった。
 鐔とは、刀剣の柄(つか)と刀身との境に挟み、柄を握る手を防御するものである。板状につくられており、鉄製のものがほとんどである。
 刀剣と同じ、砂鉄を原料とした良質の鋼材である玉鋼を鍛錬し、鉄の色や形、象眼透かし彫りが施され、実用性を重視しつつ品格のある工芸品となっている。
 肥後国細川藩・細川忠利(ほそかわただとし)の父である忠興(ただおき)が優秀な職人を集めて指導し、制作を奨励したのが始まりだといわれ、特に優れた職人たちは「肥後金工」と呼ばれ、全国的にも知られていた。
 現在も細川忠興が暮らしていた八代市で、肥後鐔を作り続ける刀匠により、伝統が受け継がれている。
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2006/12/17


大阪泉州桐箪笥 Osaka-sensyuu-kiri-dansu Senshu Paulowina Chests

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 箪笥の起源は古く、史的資料内容によれば、約三百年程前に大坂ではすでに、製造が始っていたとされている。
 当時は近所で採れるキハダやキリの木を使い、箱等の簡単な指物作りであった。江戸時代後期から明治時代にかけて一大産地が形成され、大坂では堺を中心に和泉に広がったとされている。
大坂泉州桐箪笥の特徴は、キリの柾目(まさめ)を活かし、木釘と各種組み接ぎ(くみつぎ)技法を用いた組立である。
 材料となる桐は、1年から2年かけて十分に自然乾燥させる。これは「アク」が出るのを防ぐためである。桐材は20mm以上の厚い無垢板(むくいた)。前面に、年輪の木目が真っ直ぐ通った桐の柾目板を揃える。、磨きにあたる「矧(は)ぎ加工」を施すことで、一段と見栄えがする。
 耐久性にも優れ、湿気などに注意して使えば100年から150年は使用可能。ほとんどが注文生産である。
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2006/11/28


三国箪笥 Mikuni-tansu Mikuni Dansu

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 黒光りする厚い金具に、赤味がかった春慶塗、堅固なつくりで威風を感じさせる三国箪笥。福井県三国町の工芸品である。
 江戸後期から昭和の初めにかけて、三国の木工師・金工師・漆工師らがそれぞれの技を集めて合作したのが始まりだという。三国湾はその昔三国湊と呼ばれる港町で、今で言うターミナル的役割を果たしていた。三国で日常生活のすべてを賄うことが求められ、上方から入ってくる衣類や食料品などの商品を揃えることはもちろん、生活道具の生産地でもあったのだった。その結果、優秀な工芸技術が三国で発達したことになる。
 100年経っても色あせない漆の輝き、鉄を赤め、鍛え、削って仕上げられる飾り道具の数々。実用性と「美」を共に兼ね備えるこのデザインは、全国の頂点を極めた名工たちのプライドの証でもある。
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加茂桐箪笥 Kamo-kiritansu Kamo Paulowina Chests

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 「越後の小京都」と呼ばれる加茂市は、新潟県のほぼ中央に位置し、古都京都をしのばせる落ち着いた佇まいを見せている。古くより信濃川、阿賀野川に注ぐ交通の要所であり、木材の集散地として栄える一方、京都との交流も深く、絹織物の製造とともに桐箪笥作りが始まったという。その歴史は約200年前、天明年間にまで遡る。丸屋小右エ門が大工のかたわら杉材で作り始めたのが始まりとされる。
 桐箪笥の特徴は防湿性、防火性、防虫性にある。また桐は木のなかでも軽く、狂いや伸縮も少ないのでいつまでも美しい姿を保つ。その優れた特性と美しい木目、木肌のぬくもりは200年の時を超えて、人々を魅了する。
 加茂桐箪笥は、昭和51年(1976年)に、通商産業大臣から伝統的工芸品の指定を受けた。
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2006/11/27


ふすま Fusuma Fusuma (sliding door)

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 襖の起源は8世紀から9世紀頃。几帳、衝立、屏風、明かり障子など、寝殿造り内部の調度品から、日本独自のものとして生まれてきた。
 11世紀には日本で大和絵が盛んになり、襖や屏風に表現され、初期の防寒の役目から室の装飾的要素が加わり、当時の貴族の風俗に深い関わりを持つようになった。
 やがて16世紀、安土・桃山時代に武家階級の書院造が完成すると、襖は寺院・城郭に絵画芸術の発表の場として役割を果たすことになる。江戸時代には数寄屋造りが住宅様式に入り、襖は広く町民階級にも普及することとなる。襖絵も豪華絢爛さから淡白で質素なものへと単純化されていった。
 現在では、伝統を受け継ぐ表具店の高級襖から気軽に使える壁紙式のカジュアルな襖まで、様々なバリエーションの襖が広く愛用されている。
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