NIPPON Kichi - 日本吉

記事数15件: 1~8 件表示     >>     >|  

2008/1/8


落合の石畳 Ochiai-no-Ishidatami Stone-paved Road in Ochiai

Jp En

 落合の石畳(おちあいのいしだたみ)は岐阜県中津川市落合に残る石畳である。
 江戸時代の五街道、中山道(なかせんどう)の落合十曲峠から馬籠宿にかけては急峻な山道の為、通行が困難であったことから石畳を敷き、整備が行われていた。文久元(1861)年、皇女和宮が降嫁した際改修したとの記録が残る。
 明治時代に入り、一部が工事のために剥がされ、一部は使用されなくなり放置されたため、旧状を留めたのは一部となったが、昭和六三(1988)年に修復工事が行われ、現在の840メートルの道が復元された。
 近隣には中山道の史跡である落合宿の本陣や大釜、島崎藤村の筆による「是より北木曽路」などが残り、古道の記憶を今に伝えている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/7/19


花馬祭 Hana-uma-matsuri Hanauma Festival

Jp En

 花馬祭(はなうままつり)は、約400年前から長野県・木曽町の五宮(いつのみや)神社に伝わる五穀豊穣を祈る神事である。毎年10月3日に開催される。
 細長く切った竹に五色の色紙を付けた「花」を3頭の木曽馬が付け、氏子たちが小中学生の笛や太鼓の音とともに田立駅前から五宮神社までゆっくり練り歩く。
 神社では、行列が境内を3周した後、見物客が馬に殺到して花を奪い合う。
 この「花」は、稲穂に見立てたもので、厄除けや虫除けのご利益があるとして田の畦(あぜ)や家の入り口に挿すのだという。
 花馬祭は1993年に町の無形文化財に指定、また1998年の長野冬季オリンピックでは、この花馬祭が祭典のフィナーレを飾り、演じられた。
  
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/6/11


桑名宿 Kuwana-juku Kuwana-juku

Jp En

 東海道を品川宿から数えて四十二番目の宿場に当る桑名宿(くわなじゅく)は、現在の三重県桑名市にあたる。「その手はくわな(桑名)の焼き蛤」と掛詞に残っているとおり、蛤が有名。
 桑名は宿場町として栄える以前から、物資の集積地、海運の中継港として栄えており、またお伊勢様として知られた伊勢神宮への参拝に向かう旅人にとっては、伊勢国への東の玄関口でもあった。
 桑名宿の一つ手前、名古屋の宮宿との間には木曽三川が流れており、越えることが大変難儀だったため、海上七里を船で渡る「七里の渡(わたし)」が設けられていた。歌川広重の東海道五十三次絵に「桑名 七里渡口」として描かれている。この航路は満潮時と干潮時で異なり、所要時間も一定していなかった。
 船着き場跡には伊勢神宮遙拝用の一の鳥居があり、伊勢神宮への参道を示す「伊勢国一の鳥居」とも呼ばれていた。この鳥居は今でも、伊勢神宮の遷宮ごとに建て替えられている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/6/1


鬼岩公園 Oniiwa-kouen Oniiwa Park

Jp En

 松野湖から注がれる可児川の渓流には、多くの巨岩・奇岩がそびえ立つ。「臼岩」「太郎岩」、「鋏岩」、「屏風岩」、「行者岩」等の木曽駒ケ嶽山系の花崗岩を見る事が出来る、飛騨木曽川国定公園の景勝地に「鬼岩公園」がある。
 「鬼岩」のいわれは、800年ほど昔にこの岩山に「関の太郎」という鬼人が住んでいたという伝説によるもの。近隣には全長約180メートルの「鬼の岩屋」があり、この中をくぐりぬける「鬼の岩屋くぐり」も体験出来る。この地方では鬼は福を呼ぶものという考えがあり、節分には「鬼は内、福は内」と言う様に、縁起を担ぐこともあるようだ。
 春には桜、夏は緑樹、秋は紅葉と渓谷一帯は四季折々に変化する樹木に囲まれ、数千万年の歳月の風雪に洗われて巨岩・奇石となった花崗岩が、美しいコントラストとなって渓谷を彩っている。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/5/21


大井宿 Ooi-juku 

Jp

 江戸から数えて46番目にあたる美濃中山道の「大井宿」は、天保一四(1843)年の当時で、本陣、脇本陣が各々1軒、旅籠は41軒もあり、中山道で最も賑わった宿場といわれた。
 中山道の宿場の特徴でもある桝形は他の地より多く、横町、本町、竪町、茶屋町、橋場の5つの町を、それぞれ6ヶ所の桝形によって区切られていた。
 大井宿より京に向った旧中山道には、大井で没した西行の墓があり、そばには、ここの清水で墨を磨ったとされる西行硯水公園等がある。
 現在の中心部、恵那駅と平行に抜ける中山道を進むと、市神神社、本陣跡、長国寺へと続く。更にそこから道を上ると、郷土の歴史に残る根津甚平ゆかりの根津神社、甚平坂、馬塚犬塚がある。また、浮世絵師の歌川広重(安藤広重)は、この甚平坂から見下ろした景色を木曽街道六十九次の大井宿の絵に用いた。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/5/9


長良川 Nagaragawa The Nagara River

Jp En

 長良川(ながらがわ)は、岐阜県の大日岳を源流に、三重県を経て伊勢湾に注ぐ木曽川水系の一級河川。木曽川、揖斐川とともに、濃尾平野を流れる木曽三川のひとつと数えられる。
 長良川は水が綺麗な清流として有名で、柿田川、四万十川と並んで日本最大清流のひとつと言われる。「水浴場88選」において、河川で唯一選ばれた場所である。
 夏には泳ぎを楽しむ人々で賑わい、河原ではバーベキューをしたり川遊びをしたり、家族連れに人気のスポットとなっている。また、ラフティングのメッカとしても有名で、シーズンにはラフティングツアーが多数行われる。
 この澄み切った水質は貴重なもの。いつまでも守り保存すべき、自然の恵みである。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/4/23


木曽漆器 Kiso-sikki 

Jp

 木曽漆器は長野県塩尻市地方に伝わる漆器で、国の伝統工芸品である。
 江戸時代中期、豊富な木曾の木材を利用して作られた木工品や器などの漆器が始まりとされる。後に尾張藩からの庇護を受け、中仙道の旅人の土産物として有名となり、全国に広まった。
 明治初期に発見された「錆土(さびつち)」と言われる粘土により、それまで以上に丈夫な製品が作られるようになり、現在の木曾漆器が生まれた。
 伝統工芸として木曽春慶(きそしゅんけい)、木曽堆朱(きそついしゅ)、塗り分け呂色塗(ぬりわけろいろぬり)の三つの技法が伝わり、それぞれ異なる柄や色合いを生み出している。
 丈夫さと美しさを併せ持つ用品として、多くの人々に親しまれる工芸品である。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



2007/4/9


木曾路馬籠宿 Kisoji-magome-juku 

Jp

 木曾路馬籠宿(きそじまごめじゅく)は岐阜県中津川市馬籠に残る宿場町である。
 江戸時代の五街道、中山道の木曽路、木曾十一宿の最南に位置し、美濃路から木曾路へ入る際の最初の宿場にあたる。
 山の尾根に沿った街道であり、急な坂が多く、宿は石垣を積みその上に立てられている。街中には桝形(ますがた)と呼ばれる曲がり角が配置され、戦術上の用地としても築かれたことが伺われる。
 現在も旅籠や石畳が残され、往時の面影を偲ばせる。
 馬籠は、明治から昭和に掛けて活躍した文豪、島崎藤村の生地でもあり、また小説「夜明け前」の舞台でもある。
 宿内には作中に現れた場所やゆかりの家などが点在し、文豪に思いをはせる人も多い。
[+ADDRESS] この記事をお気に入りに、追加します



記事数15件: 1~8 件表示     >>     >|  
NIPPON Kichi - 日本吉 - 日本語に切り替える NIPPON Kichi - 日本吉 - to english

モノ・コト・ミル・ヒトで綴る
日本の美意識。

現在の記事 5444
カテゴリーズ
都道府県
キーワードシャッフル
お気に入り
キーワード検索
閲覧履歴



Linkclub NewsLetter