NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/1/24


松井康成(人間国宝) MatsuiKousei 

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 本名松井美明。昭和二(1927)年長野県生まれ。陶芸家。
 一〇代の頃疎開した茨城県笠間市で、後に父の後を継ぎ、地元の古刹「月崇寺(げっそうじ)」の住職となる。
 昭和三五(1960)年頃、廃窯となっていた山門下の窯を再興し、そこで住職の仕事の傍ら、精力的に陶芸活動を行う。
 異なる土を重ねて、文様のある生地を作り成形する伝統的な技法、練上手(ねりあげ)の探求に情熱を傾け、研究を重ねた結果蘇らせたことで高い評価を得た。
 その後も積極的に研究を続け、数多くの賞を受賞し、平成五(1993)年には、「練上手」の保持者としてに人間国宝に認定された。平成一五(2003)、その七十六年の生涯を遂げた。
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清水卯一(人間国宝) ShimizuUichi 

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 大正一五(1926)年、京都市東山区生まれ。陶芸家。
 昭和一五(1940)年、地元陶芸家で同じく人間国宝の石黒宗麿(いしぐろむねまろ)に師事し、鉄釉に魅せられ中国陶芸を学ぶ。
 さらに国立京都陶磁試験場で学び、京都市立工業研究所窯業部にて助手として経験を積んだ後、京都の自宅工房において陶芸活動に専念した。
 日展、現代日本陶芸展、日本伝統工芸展などにおいて、数々の賞を受賞。その非凡なる才能が開花。釉薬と土を情熱的に研究をし、徐々に青磁の作品を手掛けるようになる。
 昭和四五(1970)年、京都から滋賀県志賀町に工房を移して蓬莱窯(ほうらいよう)を築き、そこから独創的な青磁作品を数多く生みだしていく。
 昭和六〇(1985)年四月一三日、人間国宝の認定を受けた。
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徳田八十吉(人間国宝) TokudaYasokichi 

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 三代・徳田八十吉(とくだやそきち)は、九谷焼・彩釉磁器の陶芸家である。
 昭和八(1933)年九月一四日、石川県小松市生まれ。金沢美術工芸短大を中退後、初代八十吉に九谷焼の上絵釉薬を、二代八十吉に現代陶芸を学ぶ。
 昭和三三(1958)年、第一回一水会陶芸展に初入選し、その後、日本伝統工芸展総裁賞、国際陶芸展グランプリ受賞など、数々の賞を受け、平成五(1993)年に紫綬褒章を受章した。
 初代八十吉から受け継いだ、江戸時代の古九谷の色を基に工夫を重ね、色のグラデーションの微妙な変化やコントラストの美しさを特徴とする彩釉の技法で、独自の世界を築き上げた。平成九(1997)年、人間国宝の認定を受けている。
 八十吉は、上絵の焼成を従来の九谷焼より二百度以上も高い温度でおこなう。発色を考えて調合した色釉により、気品と緊張感あふれる作品がうまれる。
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山田常山(人間国宝) YamadaJouzan 

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 三代・山田常山(やまだじょうざん・1924~2005)は、常滑焼の陶芸家である。ロクロによる急須作りの技法を習得し、常滑焼の技術を受け継いだ。
 大正一三(1924)年一〇月一日、愛知県常滑市生まれ。昭和一六(1941)年 愛知県立常滑工業学校窯業科卒業。在学中に祖父である初代・山田常山に制作を学ぶ。
 昭和三三(1958)年、第五回日本伝統工芸展に初入選。昭和三六(1961)年 名古屋丸栄にて初の個展を開催し、三代・山田常山を襲名する。
 平成六(1994)年、朱泥急須で愛知県指定無形文化財保持者になり、平成一〇(1998)年、常滑焼の急須で愛知県初の人間国宝に認定される。
 三代が作る急須には、古典的なものからモダンなものまで、百種類以上の形があるといわれる。そのほか、煎茶、玉露茶を入れるお茶道具類など、どれも伝統的技術や美しい存在感、使い良さを追求した素晴らしい作品である。
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加藤卓男(人間国宝) Katoutakuo 

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 六代・加藤卓男(かとうたくお・1917~2005)は、美濃焼の陶芸家である。色釉(いろぐすり)を施した鮮やかな文様「三彩」の作品で知られる。
 大正六(1917)年、五代・加藤幸兵衛の長男として、岐阜県多治見市に生まれる。多治見工業高校卒業後、京都国立陶磁器研究所陶芸科にて研修を受ける。
 その後広島にて被爆、暫く静養を続け、昭和三〇(1955)年頃より本格的に陶芸を開始、翌年に第一三回日展に入選。
 昭和三六(1961)年、フィンランド政府の招聘を受けフィンランド工業美術学校に留学。中東各地を訪ねた際、ペルシア陶器に興味を持ち、ペルシア古陶の発掘調査に参加するなど、様々な研究により、一七世紀に滅んだラスター彩の再現に成功、また青釉・三彩の研究にも取り組み、異民族文化と日本文化との融合に成功した。
 昭和五五(1980)年、宮内庁正倉院より正倉院三彩の復元を委託され、約九年かけて「三彩鼓銅」「二彩鉢」を完成させる。平成七(1995)年、人間国宝の認定を受ける。
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2008/1/15


立川青風(たちかわせいふう) TachikawaSeihuu 

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 伊万里焼と異素材との融合で、陶芸宝飾という新しい世界を誕生させた異色の作家・「立川青風(たちかわせいふう)」。1952年、佐賀県伊万里市生まれ。
 1983年から陶芸宝飾品だけにこだわり創作を続けている。陶芸も宝飾も独学で、それ故の独特でオリジナルな世界を創りだしている。
 2007年にはタヒチ産黒蝶真珠の世界的造形コンテスト「タヒチアンパール・トロフィー」の国内審査で、メンズ部門1位を受賞するなど、世界的にも注目を集めている。
 400年の長い歴史を持ち、17~18世紀ヨーロッパの王侯貴族を魅了したという伊万里焼。その、歴史と伝統を礎に現代の技術と感性を取り入れて、全く新しいものを作り出す想像力が、日本文化の発展に力を与えているのではないだろうか。
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2007/8/17


李参平碑 Risanpei-hi Monument to Ri Sampei

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 16世紀末、肥前国の戦国時代・安土桃山時代の武将・鍋島直茂が韓国出征からの帰国した際に韓国の陶工たちを日本に連れ帰ってきたという。有田陶工の祖と言われる李参平(りさんぺい)はその中の一人で、元和二(1616)年に泉山で白磁鉱を発見し、日本で初めて磁器を焼くことに成功。これが後に、古伊万里、柿右衛門、鍋島の三流を産み、有田は日本における磁器発祥地といわれるようになるのである。
 有田町大樽の陶山神社には、陶祖である李参平が祀られ、社殿うしろの蓮華石山の頂、有田の町を一望できる景勝の地に、この「李参平碑」が立っている。
 有田焼の創業300年となる大正五(1916)年に建立。以来、毎年五月四日に、この碑の前で「陶租祭」が行われている。
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2007/1/30


三輪壽雪(人間国宝) Miwa Jusetsu Jusetsu Miwa (Living National Treasure)

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 三輪壽雪(みわじゅせつ)氏は、明治四十三(1910)年に山口県萩市に生まれる。昭和五十八(1983)年に萩焼きで重要無形文化財保持者(人間国宝)となった。
 中学卒業後、兄・十代休雪に師事し、萩焼を代表する窯のひとつ「三輪窯」の家業に励む。昭和四十二(1967)年に、十一代休雪を襲名した。兄に続き人間国宝に認定された後、自ら「壽雪(じゅせつ)」に改名し、九六歳の今なお現役の陶芸家として活躍している。
 兄・休雪が探求し、萩焼に新境地をもたらした「休雪白」・純白の藁灰釉を引き継ぎ、自身の作陶に展開させて確立してきた。萩焼四〇〇年の伝統を継承しながらも古典の真似に終わることなく、茶陶という分野に独創性あふれる豪快な作風で新たな境地を切り開いた壽雪芸術。独自の世界観に、ファンも多い。
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