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2007/10/31


如意輪寺 Nyoirin-ji Nyoirinji Temple

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 如意輪寺(にょいりんじ)は、奈良県吉野郡吉野町吉野山にある浄土宗の寺である。
 延喜年間(901〜923)、文章博士三善清行の子で、日蔵道賢上人の草創とされる。本尊は如意輪観音。
 1336年、南北朝の戦いに敗れて吉野に行宮を定めた後醍醐天皇の勅願所となった。
 後醍醐天皇の没後、楠木正行が大阪四条畷の戦いに出陣する前に、やじりで堂の扉に辞世の歌を刻んだことでも知られている。
 慶安3(1650)年、文誉鉄牛上人が来て、本堂を再興し、真言宗を改めて浄土宗となった。
 如意輪寺には、南朝時代の寺宝や忿怒の姿を表した蔵王権現像、日本最大の寝拝観音「ねおがみ観音」など、歴史的に貴重な品が数多く展示されている。
 如意輪寺は、そこにいるだけで歴史を体感出来る、伝統の寺院である。
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2007/10/24


青陰城 Aokage-jyou Aokage Castle

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 青陰城は、広島県尾道市因島田熊町にあった山城である。
 南北朝時代、北朝の小早川氏と南朝の河野氏が因島で激突したとき、北朝方である小早川氏に対抗する伊予衆が、東にある堂崎山城の防御の一環として築いたのではないかと言われている。
 村上水軍の地であった瀬戸内海に浮ぶ因島には、たくさんの中世の城跡があるが、この青陰城は、因島の中西部、標高277mの青影山の山頂にあり、因島村上水軍の本城となった。築城は村上三郎左衛門義弘と伝えられる。
 以後、270年間、因島村上氏によって支配されたが、関ヶ原の合戦の後、慶長五(1600)年頃に廃城となった。
 現在、平坦な本丸跡や館跡、石垣の一部などが残っている。また、青影山の北方にある金連寺は、因島村上氏の菩提寺で歴代の墓塔が残されている。
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2007/5/17


藤橋城 Fujihashi-jo 

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 もとは、南北朝時代に南朝側の新田義貞が、北朝側の土岐氏に対抗する為に築城したといわれる「杉原砦」があった場所にある。
 もともとこの付近には多数の山城があり、美濃から越前、近江に抜ける戦略上重要な地であったので、南朝側勢力の砦があったようであるが廃城時期は不明である。
 「杉原砦」は歴史の陰に隠れてしまっていたが、1989年に旧藤橋村がこの地に直径9・2mのドームスクリーンを備えた西美濃プラネタリウムを建設して、1階は外見を天守閣風にし「藤橋城」と名付けた。こうして今は藤橋城として知られるようになっている。
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2007/5/8


鳥取 名和神社 Tottori Nawa-Jinja Tottori Nawa Shrine

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 鳥取の名和神社は、鳥取県西伯郡大山町にある神社である。祭神は、名和伯耆守源朝臣長年公(名和長年)とされる。
 名和長年は、執権北条氏によって後醍醐天皇が隠岐に流された時、天皇を迎えて幕府側と戦い、勝利し、伯耆一帯を平定した。
 後に南北朝の争乱により足利軍と戦い、延元元(1336)年、京都一条大宮で敗れ戦死した。
 名和神社は17世紀後半、鳥取藩主池田光仲によって創建された、南朝の忠臣名和長年以下一族42名の英魂を祀る神社である。
 明治一六(1883)年、現在地へ遷宮された。
 神社南手一帯は名和公園となっており、約300本の桜が植えられている。後方にそびえる大山、船上山にゆったりとたなびく霞に連なり、幻想的な景観である。
 名和神社は、忠臣・名和長年を祀る桜の美しい神社である。
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2007/3/13


妙法殿 Myouhou-den Myohoden Hall

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 妙法殿は、奈良県吉野郡吉野町吉野山にある修験道の金峰山寺寺内にある建物である。本尊は、釈迦如来像。
 元々この場所には、後醍醐天皇の南朝時の住まいがあったとされている。
 昭和38(1963)年、金峰山寺は、南朝皇居跡の一角に南朝四帝と南北朝時代以後の戦乱によって死亡した多くの霊を祭るため、南朝妙法殿を建立した。
 元は実城寺の本尊であった、木造釈迦如来座像は、数多い金峰山寺の仏たちの中でも最も古い仏像で、九世紀末か十世紀初めごろの制作といわれ、檜の一木から彫り出されている貴重な品である。
 春には吉野山の桜が綺麗に咲き、雨の上がった日や雪の降る日の景色は最高である。
 妙法殿は、訪れるものを楽しませてくれる、鎮魂の場である。
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吉水神社 Yoshimizu-jinjya Yoshimizu Shrine

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 吉水神社は、奈良県吉野郡吉野町吉野山にある神社である。
 吉水院(きっすいいん)は、白鳳年間(650〜654年)に役行者の創立と伝えられる、極めて古い吉野修験宗の僧坊であった。
 その後、南北朝時代には南朝の元宮であり、明治の初めまでは修験道の勢力と共に発展して来たが、神仏分離の際、寺を廃して吉水神社と改まった。
 南朝の後醍醐天皇を主祭神とし、忠臣であった楠木正成、吉水院宗信法印を配祀している。
 後醍醐天皇、源義経、静御前、豊臣秀吉などのゆかりの地で、100以上の重要文化財や秘宝を展覧しており、中でも南朝の資料に関しては全国一多く、重要文化財の宝庫といわれている。
 吉水神社は、修験道や南朝など数多くの歴史を誇る神域である。
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2007/3/12


吉野神宮 Yoshino-jinguu Yoshino Jungu Shrine

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 吉野神宮は、奈良県吉野郡吉野町吉野山にある神社。祭神は、後醍醐天皇とされる。
 吉野山は、後醍醐天皇が文保2(1318)年、天皇親政を志し、北条氏を倒して建武中興を成就したが、足利尊氏の造反にあい、延元元(1336)年、吉野山に遷幸され、吉野朝廷(南朝)を樹立したところとして知られる。
 後醍醐天皇死後は吉水院にて仏教式の供養を行っていたが、明治維新後に吉水神社となった。
 その後、明治政府によって後醍醐天皇を祀る神社の創建が決定し、明治25(1892)年、社殿が竣工し、吉水神社から後醍醐天皇像を移して、新しく吉野宮として創建された。
 大正7(1918)年、神宮の号を奉称して「吉野神宮」と改称された。
 吉野神宮は、後醍醐天皇を偲ぶ、荘厳な神社である。
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2007/2/15


観心寺 Kanshin-ji Kanshin Temple

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 観心寺は大阪府河内長野市に位置する高野山真言宗の寺。山号は檜尾山。関西花の寺第二十五番、新西国三十三箇所観音霊場客番。
 大宝元(701)年、役小角の手で開基、この時の寺号は「雲心寺」。弘仁六(815)年に空海により観心寺に改称され、天長四(827)年に空海の弟子、実恵により伽藍の建築が行なわれた。
 本尊の如意輪観世音菩薩坐像は空海の作と伝えられ、金堂と並び国の重要文化財である。
 南朝ゆかりの寺であり、正平十四(1359)年に後村上天皇の行在所となった。豪族楠木氏の菩提寺でもあり、楠木正成が学問を学んだ学問所跡、大楠公銅像、首塚などが残されている。
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