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2007/9/27


久見神楽 Kumi-kagura Kumi Kagura

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 久見神楽(くみかぐら)は、隠岐島後(おきどうご)の久見地区にある伊勢命(いせみこと)神社に伝わる穏地神楽(おちかぐら)の系統で、島根県の無形民族文化財に指定されている。
 隠岐の神楽は社家(しゃけ)と呼ばれる専門の神楽師が家業として代々継いできたが、明治二二(1889)年に地元の有志が油井の和田社家より伝授され、久見神楽となって現在に至る。西暦偶数年は七月二五日に、奇数年は同月二六日に、伊勢命神社の例祭で奉納される。
 午後九時ごろから夜通し行われ、演目は久見神楽特有の女性による「巫女(みこ)舞」をはじめ、勇壮な「猿田彦(さるたひこ)の舞」、ユーモラスな「鯛釣り」など多数ある。舞う人と地区役員が一緒に酒を酌み交わす「幣(ぬさ)の盃」も珍しい。太鼓や笛の音に乗って繰り広げられる迫力のある舞いと鮮やかな衣装は、観る者の心に深く刻み込まれる。
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2007/7/25


大場松魚(人間国宝) Ooba Shougyo 

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 大場松魚(おおばしょうぎょ)は、蒔絵の技術である平文(ひょうもん)を得意とする蒔絵作家である。
 大正五(1916)年3月15日、石川県金沢市に生まれ、祖父から続く塗師の家で、父について家業の「きゅう漆」を学ぶ。
 昭和一八(1943)年、上京して松田権六に師事。昭和二〇(1945)年以後独立を果たし、金沢で蒔絵作家として活躍する。
 後の昭和五七(1982)年、重要無形文化財「蒔絵」の保持者に認定され、人間国宝となった。
 平文は、漆工芸の加飾法の一種で、金・銀などの薄板を文様に切り、漆面に貼りつけ、更にその上に漆を塗り、金属文様が出るまで文様の上の漆を剥ぎ取ったもの。
 高度な技と鍛錬で、金粉や銀粉をまくだけの従来の蒔絵にはない、美しく強い光を手に入れた。
 近年は、平文を中心に螺鈿や変塗などの技法を駆使した華麗な作風で慈愛を表現している。
 大場松魚は平文と呼ばれる加飾技術で、優雅な和の世界を表現し続ける。
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2007/6/29


京都 掛札  Kyoto Kakefuda Kyoto Kakefuda

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 1925(大正14)年創業。京都・四条堀川に店を構える老舗の染物店。代々受け継がれてきた家紋入りの正絹風呂敷や帛久紗(ふくさ)、のれんや旗、幕などのオーダー専門店として営業を続けてきた。しかし、大学卒業後に家業を継いだ三代目の掛札英敬さんが2004年、中村勘九郎(現勘三郎)さんの「十八代目中村勘三郎襲名」の挨拶の品として木綿風呂敷のデザインと制作を担い、翌年に日本の伝統文様をモチーフにした既成の綿の風呂敷を発表したのを機に、社名・店名を「京都 掛札」に変更。さらに家紋をアレンジした木綿風呂敷専用のロゴマークを起用した。
 分業が一般化した今日では、デザインから型彫り、染め、縫製、仕上げ、販売まですべて一軒でまかなう専門店は貴重な存在。それでいて変わることを拒まない柔軟さは老舗の新たなあり方を示唆している。
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掛札英敬 KakefudaHidetaka Hidetaka Kakefuda

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 オーダーメイドの風呂敷を専門とする染物店「京都 掛札」三代目。1977年、京都市生まれ。1996年、京都市立芸術大学入学。在学中に彫刻専攻から構想設計専攻に移籍。大学在学中に家業を手伝い始め、代々店に伝わる家紋帳を見て伝統模様に興味を抱き、大学卒業後に家業を継ぐ。
 2004年、中村勘九郎の「十八代目中村勘三郎襲名」の挨拶の品として木綿の風呂敷のデザイン、制作を担う。これをきっかけに翌年、唐草や亀甲など日本の伝統文様をアレンジした綿の風呂敷を発表。「入門編として気軽に使かってもらえる風呂敷が欲しいと思ったんです」と語る口調は、まったく気負いがない。2005年以降、日本伝統の文様をもとにした「ジャパニーズモダン」とも称される新作風呂敷を発表し続けている。
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2007/5/1


山岸良三 Yamagishi Ryouzou 

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 新潟県長岡市十日町の周辺に伝わる伝統工芸品「小千谷縮(おぢやちぢみ)」の伝統工芸士。
 昭和六三(1988)年、伝統工芸士に認定される。この地方では奈良時代には既に麻織物が作られ、朝廷への献上が行われていた。小千谷縮はこの伝統を受け継ぐ麻織物で、江戸時代に緯糸に強い撚りをかける技法が生まれ、生産が増加し、各地に広まった。
 氏は高校卒業後家業を継ぐが、80年代頃、織物の衰退を危惧し、全国の産地を回り、技術を伝え学び、後進の育成にも力を注いだ。
 現在も海外の絹に目を向け、新たな製品の開発を行うなど、小千谷縮と小千谷紬の将来を見据え、常に挑戦をし続ける職人である。
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2007/4/23


頼惟清旧宅 Raikoresugakyutaku 

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 頼惟清(らいこれすが)旧宅は、江戸後期の儒学者であり詩人としても活躍した文人・頼山陽(らいさんよう)の祖父、頼惟清の旧宅。広島県竹原市に所在する。
 惟清は、染め物屋を営み、惟清の子で「三頼」と呼ばれる俊才たち、春水(しゅんすい)、春風(しゅんぷう)、杏坪(きょうへい)の3兄弟もこの家で生まれ育った。春水は頼山陽の父、春風は後に医者・学者に、杏坪は広島藩の儒者になるなど、3兄弟とも史上に名を残す文人となっている。
 当時竹原の地は、学問・文明が盛んであった。惟清も家業のかたわら、近所の学者や歌人に手ほどきを受けるなど、有力町人の文化活動に積極的に参加、家庭内に学問的雰囲気を作っていたとか。
 建物は安永四(1775)年ごろの建築。本瓦葺き、重層屋根、入母屋造、塗り籠の壁が当時の姿そのままの質実な佇まいを見せている。
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2007/4/11


高鍋大師 Takanabe-Taishi Takanabe Taishi

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 高鍋大師は、宮崎県児湯郡高鍋町にある石仏群である。
 高鍋町の北部、小高い丘の上に6世紀頃、この地を支配した有力者たちが眠る持田古墳群があるこの石仏は古墳の霊を慰めるために岩岡保吉が半生をかけて古墳群の一角に建造したものである。石仏群700体以上が鎮座する高鍋大師である。
 明治二二年に生誕した保吉は、40歳で家業を子どもに譲ると、自身は石仏づくりに専念する。
 古墳を守り、ここに葬られた人々の霊を慰めたいという思いで、昭和六年に開山し、大分の臼杵から呼び寄せた石工に学び、自らも石像を彫り続けた。
 不動明王、稲荷大神、十二薬師如来、十一面観世音、天照大神、スサノオノミコなどの巨像の他、その周辺には大小様々な像が立ち並ぶ。鎮魂、祈り。それを形作り伝えてきた古代からの人々の思いを「今」のこととして実感できる稀有な場所である。
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2007/3/26


南昌荘 Nanshou-sou 

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 南昌(なんしょう)荘は、岩手県盛岡市出身の実業家・瀬川安五郎が建てた邸宅。数年かけて作庭した池泉回遊式の庭園を有し、原敬など数多くの著名人も訪れている。
 瀬川安五郎は、家業である両替商を継ぎ、商才をいかんなく発揮、県下長者番付4位の財を成すまでになった財界の重鎮。明治十八(1885)年に南昌荘を建てる。その後、安五郎は日露戦争や大凶作、米価の暴落などにより事業に失敗、この邸宅を時の市長・大矢馬太郎に売却する。以降、邸宅の所有者は金融界の大立者・金田一国士へ、その次は豪商・赤澤多兵衛へと受け継がれていく。千坪以上の広大な敷地に広がる手入れのいきとどいた庭園はこれらの歴史的な財界人たちを魅了し、豪華な園遊会がたびたび催されたという。
 南昌荘は、平成十七年には、盛岡市の保存建造物に指定された。
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