NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/4/3


小烏丸 Kogarasumaru 

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 小烏丸(こがらすまる)とは、天皇家の宝刀である。
 ある日、桓武天皇の元に伊勢神宮からの使いであると、一羽の大きな烏(からす)が舞い降り大刀を授けられた、との伝説からこの名が付けられたと言われる。
 この刀を打ったのは天宝時代の大和の刀鍛冶、天国(あまくに)であるとされている。
 平安時代末期、平貞盛が平将門・藤原純友らの起こした反乱、承平・天慶の乱(じょうへい・てんぎょうのらん)を鎮圧する際に、天皇よりこの刀を拝領、以後、平家一門の家宝となっていたが、壇ノ浦の戦いで一度行方不明となる。しかし、江戸時代に入り小烏丸の所在がわかり、現在では皇室御物として保管されている。
 刀剣としての特徴は、刀身の先端から半分以上が両刃となり、斬ることよりも突くことに適した刀で、鋒両刃造(きっさきもろはづくり)または小烏造と呼ばれている。ミステリーの多い、神秘的な刀である。
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2007/11/26


金剛寺の青梅 Kongou-ji-no-aoume 

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 東京都青梅市にあり青梅山無量寿院と号する古刹、金剛寺。
 承平年間(931~938)に平将門により創建されたとされ、北条氏の信仰篤く、重要文化財に指定されている如意輪観音や風情ある枝垂桜でも知られる。
 その寺の境内にあるのが金剛寺の青梅(こんごうじのあおうめ)である。
 寺と同じくこの青梅も平将門の伝説に彩られている。
 その伝説によれば、将門が馬の鞭代わりに使用していた梅の枝をこの地に挿し、「我願成就あらば栄ふべし。しからずんば枯よかし」といって戦勝を祈願したのがこの青梅であるといわれ、「将門誓いの梅」とも呼ばれている。
 実が熟しても黄色に染まらず、青い実のまま落ちることから青梅と呼ばれるようになり、更にそれが青梅の知名になったとも言われており、いわば青梅市の象徴として愛され、大正十一年に東京都の天然記念物に指定されている。
 将門の夢が託されたその木は、一千年を経た今も、大地に根付いている。
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羽村 阿蘇神社 Hamura Aso-jinja 

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 東京都羽村市内を流れる多摩川。
 その多摩川そばの崖上に佇む古社が、阿蘇神社(あそじんじゃ)である。
 その創建は西暦601年、推古天皇の御代に、推古天皇本人によるものとされる。また、承平三(933)年には平将門が社殿を造営したとも、その将門を討った藤原秀郷(ひでさと)が造営したとも言われている。その後は徳川家康が参詣し、続き家光、綱吉、吉宗など、徳川将軍家からの朱印状が続くこととなる。
 境内には藤原秀郷が手植えしたといわれる椎の大木があり、東京都の天然記念物に指定されている。
 その樹齢は八百年とも千年とも言われるが、樹勢は盛んで、将門伝説を今に伝えている。
 都の有形文化財に指定されている本殿は、一間社流造のこけら葺きの屋根など、神社建築として歴史的価値も高く、長い歴史と文化の歩みを感じさせる荘厳なものである。
 四季折々の風情豊かな地に鎮座する古社は、訪れる人々を悠久の歴史の旅へと誘ってくれるだろう。
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2007/10/23


神田神社 Kanda-jinjya 

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 神田神社(かんだじんじゃ)は、東京都千代田区外神田にある神社である。祭神は大己貴命、少彦名命、平将門命。別名・神田明神とも呼ばれている。
 天平二(730)年、武蔵国豊島郡芝崎村に入植した氏族が、大己貴命を祀ったのに始まる。
 承平五(935)年に敗死した平将門の首が京から持ち去られてこの近くに葬られ、首塚として東国の平氏武将の崇敬を受けた。
 嘉元年間(1303~1306)に疫病が流行し、これが将門の祟りであるとして供養が行われ、後に神田神社の祭神とされた。
 江戸時代、江戸城増築に伴って現在地に遷座し、江戸城の鬼門除け、江戸総鎮守として尊崇された。
 神田神社は、東京の中心である神田、日本橋、秋葉原、大手丸の内、旧神田市場、築地など108町会の総氏神として、今も篤く慕われている神社である。
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2007/8/16


藤崎宮例大祭 Fujisaki-guu-reitaisai The Grand Festival of Fujisaki Hachimangu Shrine

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 承平五(935)年に勧請されたといわれる藤崎八幡宮。
 祀られているのが軍神であることから代々、武将の信仰が篤かったこの古社で、毎年の九月第三月曜日を最終日として五日間にわたって開催される例祭であり、熊本県内最大規模の祭りが藤崎宮例大祭(ふじさきぐうれいたいさい)である。
 仏教の戒律である殺生戒を元とする宗教儀式である放生会(ほうじょうえ)に由来するとされ、最終日に行われる随兵行列(ずいびょうぎょうれつ)でクライマックスを迎える、熊本の秋の風物詩だ。
 随兵行列は、加藤清正が神幸式を復活させた折、自ら頭となって兵を従えたのがその始まりと伝えられ、行列と共に神輿や飾り馬が練り歩く。
 神の乗った神輿と共に「ドーカイ、ドーカイ」という威勢のよい踊り子たちの掛け声と、六十以上もの団体が奉納するたくましい馬に囲まれた中、勇壮かつ荘厳に練り歩く行列には、神様もさぞやご満悦に違いない。
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2007/5/1


吉祥院天満宮 Kissyouin-tenmanguu 

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 京都府京都市南区にある神社。御祭神は菅原道真公と吉祥天女。
 菅原道真が亡くなって三十一年目の承平(じょうへい)四(934)年、道真誕生の地に、朱雀天皇の勅命によって創建された。
 道真の祖父清公卿は遣唐使の命を桓武天皇から受けて、渡航したが船中において暴風雨に遭遇。なんとか無事に入唐するが、そのおり吉祥天女の霊を見たことから、神の御加護があったと考え、帰国後、自邸内に吉祥天女の尊像を祀った。「吉祥院」の名はここからきている。
 境内の「胞衣の塚」(えなのづか)は、道真のへその緒を生めたところといわれ、道真はここで誕生し幼少時代をすごした。
 道真の幼少時に手習いに使ったという「硯之水」は吉祥天満宮の東に近年まで豊富に湧き出ていたが、その後枯れてしまったため、境内に井戸を掘り再び「硯之水」が蘇っている。
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