NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/4/11


凧祭り・てぬぐいたおる 乱舞 Takomatsuri-Tenuguitaoru Ranbu 

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 完成度の高いオリジナル作品を生み続けるペインター・広瀬理恵子によってデザインされた凧祭り・てぬぐいたおる「乱舞」。
 今からおよそ430余年前の永禄年間に、当時の浜松を治めていた引間城主の長男誕生を祝い、城中高く凧を揚げた事が始まりとされる浜松まつり。
 今では浜松まつりに欠かせない初凧・凧合戦が本格化したのは明治になってからで、凧祭りとして名高い。
 てぬぐいたおる「乱舞」は、遠州浜松大凧揚げの風景をデザインしたもので、千歳町の「てんぐ」、肴町の「鶴」など市内37町の凧印や旗が描かれている。
 伝統の祭りを評判のタオル地で日本手拭いに仕立てたこの一品は、凧合戦の熱気が伝わってくる楽しい日用品である。
 
丈は110cm×35cm
カラーは国内最多色10色を使用
Magic Garden
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2007/10/4


ケンケト祭 Kenketo-matsuri Kenketo Festival

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 ケンケト祭(けんけとまつり)は、滋賀県東近江市の竜王町にある杉之木神社と蒲生町にある八坂神社で、毎年四月二三日に近い日曜日に行なわれる祭りである。
 薙刀踊り(なぎなたおどり)も同時に奉納され、国の選択無形民俗文化財に指定されている。
 ケンケト祭とは、祭囃子の鉦・太鼓が「ケケンケイ、ケケンドン、ケケンケイ、ケケン」と聞こえることに由来していると言われ、平安時代~室町時代から両地域に伝わる、荘園時代からの五穀豊穣を願う伝統の祭りである。
 11才~21才の長男が揃いの友禅模様の衣裳で、鉦や太鼓を打ち鳴らしながら薙刀踊りを奉納する郷土色豊かな祭りで、行列の衣装は織田信長が甲賀攻めをした時、住民も従軍し鎧を脱いだ格好ともいわれている。
 ケンケト祭は、風流で雅な、千年の伝統を誇る祭りである。
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2007/9/18


士踊り Samurai-odori 

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 士踊り(さむらいおどり)は、鹿児島県南さつま市加世田の竹田神社にて毎年七月二三日に奉納されている神事である。県の無形民俗文化財に指定されている。
 竹田神社は、室町時代の文明一七(1485)年に保泉寺として創建された寺が、明治六(1873)年、神社として再建されたもので、祭神は島津忠良。
 踊りは、戦国時代の薩摩領主・島津忠良が、三州を平定した長男貴久を慰安するために始まったといわれている。
 はじめに奉納される二才踊りは陣羽織、帯刀姿の大人たちが歌いながら静かに歩を進め、勝ちどきを上げたり、四股を踏むしぐさで舞い、続く稚児踊りは、鎧武者に率いられた百衣陣羽織姿の少年たちが円陣を組み、ゆっくり回りながら締め太鼓などを奉納する。
 士踊りは、武士の士気を鼓舞する勇壮な郷土芸能である。
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2007/8/10


中江藤樹邸跡(至徳堂) Nakae-Touju-tei-ato(Shitoku-dou) 

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 近江出身の儒学者中江藤樹(とうじゅ)は後に「近江聖人」といわれるようになった江戸時代初期の陽明学者である。
 近江の農民中江吉次の長男として生まれた藤樹は、伯耆(ほうき)米子藩主加藤家の百五十石取りの武士である祖父・徳左衛門の養子となり米子に赴いた。その後藩主加藤貞泰の転封で祖父母とともに大州に移住。一五歳で家督相続し、独学で朱子学を学んだ。二七歳の時、脱藩し近江へ。以後門弟の教育に努め、四一歳で亡くなるまで知行合一(ちこうごういつ、陽明学の実践重視の教え)の実践を深めた。
 宇和島中学校大洲分校に学んだ窪田哲二郎氏からの寄付金を基金として、有馬純次校長の構想により、藤樹の遺徳を伝えまた学ぶ「学舎」として、百石取の武士の住居を模した「至徳堂」を建設。落成は昭和一四年一一月一八日。昭和二八年には愛媛県指定史跡に選定された。
 大洲城三の丸の跡に建てられた県立大洲高校の敷地内にある。
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2007/6/18


岩野市兵衛(人間国宝) Iwano Ichibee Ichibee Iwano (Living National Treasure)

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 昭和八(1933)年、福井県今立町生まれ。越前奉書製造で有名な人間国宝、八代目岩野市兵衛の長男として生まれる。九代目の自身も平成十二(2000)年に人間国宝に認定され、親子二代での人間国宝受賞となった。
 先代の市兵衛氏の漉く奉書は、広く内外の版画家から支持されピカソも愛用していたという。
 職人気質は父譲り、毎日ひたすら紙漉きを続けて六十余年、ただただいい紙を、という一念で仕事をしてきた。氏の漉く紙は腰が強く、どうやっても裂くことができないくらい丈夫。画家の精密な筆先でも絵の具が滲むことはない。
 葛飾北斎の極薄の版画用紙を漉いたこともある。復刻版画はバレンを何百回もかける。それに耐える紙を漉くのは難しいが、「挑戦するときは職人の血が騒ぎますね」と氏は穏やかに笑う。根っからの職人魂は、父をも超えた。
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2007/1/30


談山神社 Tanzan-jinjya Tanzan Shrine

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 奈良県桜井市にある「談山(たんざん)神社」。大化の改新の中心人物である藤原鎌足を祀る神社だ。 
 飛鳥時代、藤原鎌足の遺骨を摂津国阿威山から改葬し、鎌足の長男が木造十三重塔(重要文化財)を建てたのが発祥という。
 社名は、鎌足が中大兄皇子と蘇我入鹿を暗殺するために談合した「談い山(かたらいやま)」からとったものと言われる。
 多武峰山中には楼門、本殿、権殿をはじめとする朱塗りの美しい社殿が立ち並ぶ。談山神社は紅葉の名所としても知られ、秋には紅葉の中に浮かび上がる塔を見に多くの観光客が訪れる。
 春と秋には、鎌足公が、飛鳥法興寺の蹴鞠(けまり)会において、はじめて中大兄皇子とまみえ、大化の改新の発端となったことに由来する「蹴鞠祭」が行われるという。
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2007/1/29


天田昭次(人間国宝) Amata Akitsugu Akitsugu Amata (Living National Treasure)

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 昭和二(1927)年、刀匠、天田貞吉の長男として本田村(現・新潟県新発田村)に生まれる。平成九(1997)年、刀匠として重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。
 氏は父を振り返り「天才肌なところがあった」と語る。父が三十八歳の若さで亡くなったとき、氏はわずか十歳。父の跡を継いで刀匠になるために、小学校卒業と同時に東京の道場に入門する。以降、刀づくりに生涯をささげることとなった。三十三歳のときに病に倒れ、八年間も闘病生活を送るなど、けっして順風満帆ではなかったが、刀づくりへの執念が氏を蘇らせた。
 長年の努力が結集し、現代の刀匠の登竜門「新作名刀展覧会」で初めて「正宗賞」を受賞したのが四一歳のとき。才能と努力が世間に認められるところとなった。
 現在もなお全国各地の砂鉄を求め、たゆまぬ研鑽を続けながら日本刀の世界に挑み続けている。
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