NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/10/1


平勝寺 Heishou-ji Heishoji Temple

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 平勝寺(へいしょうじ)は愛知県東加茂郡足助町綾渡奥にある曹洞宗の寺院である。
 元和元(1616)年に書かれた「略縁起」では聖徳太子が開いた寺と記されており、その当時は檀独山大悲密院と称され、天台宗の寺院であった。
 その後、後醍醐天皇の第三皇子である平勝親王が、戦勝祈願のためこの寺を訪れ、その後、平勝寺と呼ばれるようになった。
 寺に安置されている木造観音菩薩坐像は平治元(1159)年に造られたものである。像は桧の寄木造で、胎内には墨書銘が残されており、国の重要文化財に指定されている。
 一七年に一回のご開帳という秘仏である。
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2007/8/23


野間大坊 Noma-daibou Noma Daibo

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 野間大坊(のまだいぼう)は、正式には大御堂寺という名の真言宗の寺。歴史は古く、七世紀中頃の天武天皇の時代に始まる。源義朝(みなもとのよしとも)が湯殿で謀殺された所として名高い。義朝とは、頼朝・義経の父にあたる。
 平治元(1159)年、平治の乱に破れた源義朝が、家来の鎌田氏の義父、長田忠致(おさだただむね)を頼って美濃から知多半島沿岸を通り、野間に落ちのびた。義朝は正月を忠致宅で過ごすが、平氏からの恩賞を目当てにした長田父子に浴室で殺されてしまう。
 野間大坊には義朝の墓がある。義朝は最期「せめて木刀一本でもあれば殺されず済むものを」という言葉を残したといわれ、その墓には多くの木刀が供えられている。木刀を奉献すれば願いが叶うといわれている。
 敷地内には義朝の首を洗ったと伝えられる血の池、湯殿跡などが今も残されている。
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2007/2/6


坊ガツル Bogatsuru 

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 「坊ガツル」の「坊」は、お坊さんの「坊」。天台宗法華院の聖地として、江戸時代から修験僧が入り込んで賑わった事から、「坊」の名が付いた。そして「ツル」は山間の平坦地を言う。大分県の西部に位置する九重連山の三俣山、中岳、大船山、平治岳などに囲まれた山峡の盆地で、山麓湧水地に形成された中間湿原である。
 ヌマガヤ〜ヒメミズゴケ群落、ヌマガヤ〜ヌマクロボスゲ群落、ヤチカワズスゲ群落等が成立しており、ツクシフロウをはじめとした希少な植物の生育が確認されている。
「坊ガツル」は、南国的伸びやかさと九州男児を思わせる力強さと桃源郷の甘さを漂わせている。
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2007/2/2


牛首紬 Ushikubi-tsumugi Ushikubi-tsumugi Pongee

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 石川県白山市白峰の牛首で生産される紬。
 白山の伏流水を源とする手取川水系の水を使い、選別された玉繭を原料として、全ての行程が手作りで作られる。繭を煮込み、そこから直接手で糸を紡ぎ出し、丹念に機織され、紬の中でもその強さで有名でもある。
 その起源は、伝説的なものではあるが、平治の乱に破れた源氏の落人、大畠氏の妻が、機織りの技術を伝えたといわれている。
 牛首紬は、その堅牢さから、江戸時代には全国で重宝され、明治の中期から昭和初期にかけては、生産は右肩上がりであったが、経済不況から戦争への流れの中、急速に衰退し本格的な紬産業は、一時期姿を消してしまう。
 その後、養蚕は再開され、牛首紬の再興に成功。現在では、高級紬の代表的なものとして、愛用されている。
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2007/1/28


しとどの窟 Sitodo-no-iwaya Shitodo Cave

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 しとどの窟(しとどのいわや)は、神奈川県湯河原町にある、古くから知られた洞窟である。
 しとどの窟は滝の裏にある珍しい洞窟で、洞口は非常に大きいが、奥行きは10mくらいしかない。洞内には、20体あまりの石像が置いてある。
 平治の乱に敗れ伊豆に流されていた源頼朝は、治承4(1180)年8月、ついに平家打倒の兵を挙げるが、石橋山合戦で大庭景親軍に大敗を喫してしまう。
 頼朝は主従わずか7名で山中に逃れ、洞窟や大木の洞に隠れて敵の追手をかわしたという。その、頼朝が難を逃れたという洞窟こそ、しとどの窟である。
 しとど(鵐・巫鳥)とは、小鳥のことで、頼朝が洞窟に入る際に小鳥が飛び立ったことからこの名が付けられた。
 しとどの窟は、歴史の転換点となった、伝説的洞窟である。
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2007/1/15


伏見稲荷 Fushimi-inari Fushimi Inari Taisha

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 京都市伏見区深草にある、稲荷神を祭る稲荷神社総本宮。
 711年、この地の豪族「泰氏族」が稲荷山三ヶ峰の平らな場所に、稲荷神を奉鎮したことが始まりとされる。
 平安時代中期、稲荷社に参詣することが習わしとなったころ「しるしの杉」をいただくという行為があった。神のご利益を受けるため、平清盛は、「保元の乱」「平治の乱」では稲荷社の杉の小枝折って、鎧の袖にさして出陣したことが記されている。
 そんな稲荷社も「応仁の乱」では戦渦に巻き込まれ、ほぼ壊滅状態となった。
 社会情勢の悪化は10年ほど続いたが、1492年から徐々に復興に取り掛かり1499年には、ほぼ新しい社が完成した。
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2006/12/22


布志名焼 Fujina-yaki Fujina ware

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 島根県松江市玉湯町の布志名という宍道湖の近くで焼かれている陶器。
 1750年に船木与次兵衛村政が布志名に窯を開いたのが始まりとされる。その後、松江藩主松平治郷の命で御用窒となる。
 この辺りにはたくさんの窯がありそれぞれ名称も違う。総称して出雲焼とよばれ、焼物の盛んな場所である。
 昭和に入って、化粧泥で模様を施したスリップウエアと呼ばれる技法を採用。独特の風情がある。
 柔らかい・暖かいイメージものが多く、黄釉や出雲青地と呼ばれる青釉の日用雑器が主であった。現在では4つの窯が稼動している。洋風感覚の技術を取り入れ、創作意欲も盛んである。
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