NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/1/30


井上萬二(人間国宝) Inoue Manji Manji Inoue (Living National Treasure)

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 昭和四(1929)年佐賀県有田町生まれ。平成七(1995)年、重要無形文化財「白磁」保持者(人間国宝)に認定される。
 昭和二十(1945)年ごろ14代酒井田柿右衛門、奥川忠右衛門らに師事、白磁制作の技法を習得する。昭和三十三(1958)年から県立有田窯業試験場に勤めながら磁器の成形、釉薬(ゆうやく)の研究を重ね、伝統的な白磁制作技法を極めた。
 磁器、とくに白磁の世界には造形の完全さが求められる。一切の加飾に頼らず、「かたち」そのもので端正さ、温かさ、風格を表現するのだ。小手先の技術やごまかしなどは一蹴されるほどの難しさがある白磁。「形そのものが文様」と語る井上氏は、白磁の真髄を追求し、ろくろ成形名手として研鑽を摘んできた。「名器に雑念はない。あるのは技術と感覚だけ」と氏は今もひたすらろくろの前に座り、一点のゆがみも許さない。
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2007/1/26


福沢旧居 Fukuzawa-kyuukyo The Fukuzawa Residence

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 福沢旧居は、大分県中津市留守町にある、福沢諭吉が幼年・少年・青年時代を過ごした、国指定の史跡となっている家である。
 諭吉は天保五(1835)年に大阪堂島の中津藩蔵屋敷で生まれた。父が死亡したので諭吉が1歳6ヶ月の時に帰藩し、この家で19歳まで暮らした。
 庭に建つ土蔵は諭吉が改造し、勉学に励んだという。母屋は、起居した場所である。また隣接する記念館には、諭吉に関する様々な資料が展示されている。
 その後19歳で長崎に蘭学の勉強に行った諭吉は、やがて英語の必要性を痛感し、ほぼ独学で英語の勉強を始め、最終的に咸臨丸でアメリカまで行っている。
 後に、340万部売れたという「学問のすゝめ」を出版、慶応義塾の創始者となる。
 福沢旧居は、民主主義の先覚者・諭吉の若年期を偲ばせる歴史的家屋である。
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