NIPPON Kichi - 日本吉

2007/3/5

原城跡 Harajyou-seki 

Jp


 有明海の岬を利用したこの城は、日野江城の支城として明応5 (1496) 年に築かれた。
 キリシタン大名有馬晴信の頃は日暮し城と讃えら、日が暮れるまで見ても飽きないほど美しかったが、有馬氏が日向へ移されると廃城となり、松倉重政は島原に城を築いた。 
 徳川幕府治政下では最大の反乱だった島原の乱、寛永14(1637)年の一揆軍が城にたてこもり、3万7千人は悲惨な最期を遂げた。
 現在は公園になっている。島原の乱で殉教したキリシタンたちの追悼の意を込められているかのような大きな白い十字架や、200年以上経過している天草四郎の墓石や天草四郎像など、天草四郎に関するものが残っている。

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住所
長崎県南島原市南有馬町
名前
原城跡




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