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2008/9/26


石清水八幡宮 Iwashimizu-hachimanguu 

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 石清水(いわしみず)八幡宮は、九州の宇佐神宮、関東の鶴岡八幡宮とともに全国でも代表的な八幡宮である。
 貞観元(859)年、奈良大安寺の僧・行教(ぎょうきょう)が、大分県にある宇佐八幡宮の分霊をこの地に祀ったのが始まりである。
 御祭神は応神(おうじん)天皇・神功(じんぐう)皇后・比咩大神(ひめおおかみ)の三柱で、この神々を総称して八幡三所大神と呼んでいる。
 当時、全国の武士は八幡三所大神を武の神、弓矢の神として崇めていた。このことから八幡三所大神を氏神として仰ぎ、全国に数多くの八幡宮を祀ったといわれる。
 楼門をくぐると、奥に舞殿、幣殿、本殿が建っている。これらの現存する建物は、寛永一一(1634)年、徳川三代将軍家光によって造営され、重要文化財に指定されている。
 本殿は桧皮葺きで、前後二棟で構成される「八幡造り」という建築様式である。本殿をはじめ建物には丹漆塗りが施されており、左甚五郎など当時の名匠による極彩色の彫刻が刻まれている。 
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真如堂 Shinnyo-dou 

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 比叡山延暦寺を本山とする天台宗の寺真如堂(しんにょうどう)。正式名称は「鈴聲山真正極楽寺(れいしょうざんしんしょうごくらくじ)」である。
 比叡山の僧、戒算上人が夢に現れた阿弥陀如来より「神楽岡に真正極楽の霊地がある」というお告げを受けた。戒算は比叡山常行堂の阿弥陀如来像を、神楽岡の東に位置する、藤原道長の姉、東三条院・藤原詮子の離宮に移し、安置したのが真如堂のはじまりといわれている。永観二(984)年のことだったという。
 応仁の乱の戦火を受け、諸堂は全焼してしまったが、江戸時代に入り、現在の地に美しく重量感のある本堂や三重塔などが再建された。
 自然に囲まれた真如堂は、見所も多く、四季折々の異なる表情も楽しむことができる。紅葉の名所としても名高い。
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等持院 Touji-in 

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 京都市北区の臨済宗天龍寺派の禅寺、等持院(とうじいん)は足利家の菩提寺として知られている。
 暦応四(1341)年、足利家と縁のあった夢窓疎石(むそうそせき)を開山として足利尊氏によって等持寺が創建された。尊氏の死後、寺は菩提所となり、名前を等持院に改められた。
 寺に入るとまず目に入るのが、禅宗の祖師である達磨大師の大きな襖絵である。
 開祖の疎石は多くの庭園を設計したことでも知られており、等持院の東庭も疎石作庭とされている。室町時代の回遊式の庭園は、国の特別史跡及び特別名勝に指定されている。紅葉に囲まれた庭園の眺めはまた格別である。
 霊光殿と呼ばれる納骨堂には、尊氏が信仰した弘法大師作の地蔵尊像を中央に、達磨大師像、疎石の像が祀られている。そしてさらに両側に足利家歴代の将軍達の木像がずらりと安置されており、その様子は圧巻である。
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二尊院 Nison-in 

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 京都市嵯峨野にある二尊院(にそんいん)は嵯峨天皇によって建立された天台宗の寺院である。正式名称は「小倉山尊教院華台寺(おぐらやまそんきょういんけだいじ)」で、開祖は慈覚大師(じかくだいし)とも呼ばれる日本で最初の大師円仁(えんにん)である。創建時期は承和年間(834~847年)とされている。
 現世から来世へと送り出す「発遣(ほっけん)の釈迦」と、西方極楽浄土へ迎え入れる「来迎の阿弥陀」の表裏一体ともいえる二如来像を本尊とすることから二尊院と名付けられた。
 応仁の乱の戦火を受け、建物はほぼ全焼してしまったが、その後本堂と勅使門など、一部の建物が再建されている。
 伏見桃山城の薬医門(やくいもん)を移した大きな総門から延びる広い参道は「紅葉の馬場」と呼ばれ、紅葉の名所として名高い。
 また、ここは藤原定家が百人一首を選定した場所としても名高く、山の中腹に「時雨亭跡」として石組みが残されている。
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2008/9/25


京都 八坂神社 Kyouto Yasaka-jinja 

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 京都・八坂神社(やさかじんじゃ)は、京都府京都市東山区祇園町にある神社である。祭神は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)、櫛稲田姫命(くしなだひめのみこと)、八柱御子神(やはしらのみこがみ)。
 斉明天皇二(656)年、高句麗より来日した伊利之使主(いりしおみ)が、新羅の牛頭山に祀られている牛頭天王(ごずてんのう)を山城国八坂郷に祀り、「八坂造」の姓を賜ったのが神社の始まりと伝わる。
 牛頭天王は素戔嗚尊と習合し、全国に約2300社ある素戔嗚尊を祭神とする神社の総本社で、日本各地から広く崇敬を集める。
 牛頭天王は、もともとはインドの神で祇園精舎の守護神であることから、神社の付近一帯は祇園と呼ばれ、八坂神社は「祇園さん」と言われて親しまれている。
 毎年7月に開催される祇園祭が有名で、他に特殊神事として、大晦日に行われるおけら祭がある。
 京都・八坂神社は、厄除け、商売の神として京都の人に親しまれている古社である。
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京都ゑびす神社 Kyouto-ebisu-jinja Kyoto Ebisu Shrine

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 京都ゑびす神社(きょうとえびすじんじゃ)は、京都府京都市東山区大和大路通にある神社である。
 祭神は千代言代主大神(やえことしろぬしのおおかみ)・大国主大神(おおくにぬしおおかみ)・少彦名神(すくなひこなのかみ)。
 建仁二(1202)年、臨済宗開祖・栄西(ようさい)禅師により、建仁寺建立の鎮守として現在地に建立されたとされる。
 「商売繁盛で笹もって来い」で知られる、日本三大ゑびすのひとつで、「えべっさん」の名で親しまれている。
 ゑびす信仰の象徴とも言える笹は、京都ゑびす神社独自の御札の形態が広まったもので、節目正しく真直に伸び、弾力があり折れず、葉が落ちず常に青々と繁るといった特徴から、家運隆昌・商売繁盛の象徴となった。
 毎年一月八日~一二日には十日ゑびすが行われ、深夜まで多くの人々で賑わっている。
 京都ゑびす神社は、七福神の恵比寿信仰で親しまれる神社である。
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滝口寺 Takiguchi-dera 

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 京都市嵯峨小倉山の麓にある滝口寺(たきぐちでら)は浄土宗の開祖法然(ほうねん)の弟子、念仏房良鎮(ねんぶつぼうりょうちん)によって創建された。正式名称は往生院三宝寺という。
 平家物語「維盛高野」の巻で語られている、平重盛の重臣で後に滝口入道と呼ばれた、斉藤滝口時頼と侍女横笛の悲恋が伝わる寺として知られている。入道は横笛との恋を父に厳しく叱責され、この寺で修行を始めた。横笛は出家した入道に会いに尋ねるが追い返され、傍にあった石に指を切った血で和歌をしたためたという。身分の違いから生まれた、悲恋の物語が伝わる滝口寺の名は物語に由来する。
 市内の社寺の多くは応仁の乱などの戦火を受け焼失したが、三宝寺は免れている。その後一度は明治維新で廃寺となったが、隣接する祇王寺の再建に続いて再建された。
 平家物語ゆかりの寺は、竹林に囲まれた小さな寺だが、奥嵯峨の情緒あふれる寺である。
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2008/9/22


祗王寺 Giou-ji 

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 奥嵯峨にある小倉山の麓、竹林の奥にひっそりとあるのが祗王寺(ぎおうじ)である。
 平清盛の寵愛を仏御前に奪われた祗王がこの地で出家をし、母、妹とともに余生を過ごしたと言われている。後に寵愛を受けた仏御前も尼となり、四人で念仏三昧に暮らしたという、平家物語の舞台となったところである。
 現在の祗王寺は昔の往生院の跡にある。往生院は法然上人の弟子が開いた寺と伝えられているが、荒廃した後は尼寺として残り、祗王寺と呼ばれるようになった。
 明治時代初めに廃寺となり、木像や墓は大覚寺によって保管されていた。その後、祗王寺再建の話を聞いた元京都府知事である北垣国道が、明治二八(1895)年、茶室を寄進して再建した。
 庵内の仏間には、本尊の大日如来、平清盛の像をはじめ祇王、妹の祇女、母の刀自、仏御前の木像が安置されている。
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