NIPPON Kichi - 日本吉

2008/5/22

明石城(喜春城) Akashi-jou(Kiharu-jou) 

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 兵庫県明石市の「明石城(あかしじょう)」は、明石藩主となった小笠原忠真が、元和三(1617)年に幕府の援助と岳父にあたる播磨姫路城主の本多忠政の協力により築城した。
 譜代大名の居城としてふさわしい城郭を建設する様、ニ代将軍徳川秀忠の命により、伏見城や三木城、船上城の遺材が使用され着工し、ニ年後の元和五(1619)年におおむね完成した。寛永九(1632)年、忠真は肥後熊本の加藤家改易に伴う細川家の移動で、外様大名から幕府を守る為の橋頭堡(きょうとうほ)として豊前小倉へ移る。その後、松平(戸田)、大久保、松平(藤井)、本多と城主は変わる。天和ニ(1682)年、松平(越前)直明が越前大野から六万石で入封し、松平(越前)家が十代続き明治を迎える。
 巽櫓(たつみやぐら)と坤櫓(ひつじさるやぐら)が国指定の重要文化財になっており、中堀の内側は明石公園として整備され、さくらの名所としても知られている。

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住所
673-0847 兵庫県明石市明石公園
名前
明石城(喜春城)




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