南湖公園 Nanko-kouen
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南湖公園は、元々「大沼」と呼ばれた低湿地帯を1801年に、白河藩主・松平定信(楽翁公)が改修し、庭園としたもの。南湖という名称は、定信公の居城であった小峰城の南にある湖である事と、唐の詩人・李白の詠んだ詩の一節「南湖秋水夜無煙」から取られたと言われている。定信公は、この庭園を「四民(士農工商)共楽の地」とし、「共楽亭」という茶室を一般庶民にも開放した。身分制度の厳しい時代に、武家も庶民も共に楽しもうという思想は、大変に画期的なものだったと言える。この様に、一般に「公園」という形で開放したものとしては、南湖は日本最古のもの。
また、定信公は南湖湖畔の名勝・景勝地「十七勝・十六景」を設け、親交のあった公家・諸大名に和歌を、藩内のほか諸藩の漢学者などに漢詩文の製作を依頼し、寄せられた和歌、漢詩文を一石に刻んだ「南湖碑」を1820年に建立した。この碑は何度かの移転を経て、現在は鏡山の麓、共楽亭の側に建っている。
また、定信公は南湖湖畔の名勝・景勝地「十七勝・十六景」を設け、親交のあった公家・諸大名に和歌を、藩内のほか諸藩の漢学者などに漢詩文の製作を依頼し、寄せられた和歌、漢詩文を一石に刻んだ「南湖碑」を1820年に建立した。この碑は何度かの移転を経て、現在は鏡山の麓、共楽亭の側に建っている。
- 住所
- 福島県白河市南湖
- 名前
- 南湖公園