NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/11/7


とんぼ玉 Tonbo-dama Dragonfly Ball

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 「とんぼ玉」-この風変わりな名前を持つ小さな玉のことをご存知だろうか。とんぼ玉とは、簡単に言えば色文様の付いたガラス玉で、紐を通す孔の空いたビーズのことである。漢字で書くと「蜻蛉玉」、欧米語では「glassbeads」と呼ぶ。
とんぼ玉の歴史は古く、メソポタミア文明やエジプト文明の時代にまで遡る。そして現在まで3500年に渡り世界各国で多種多様なとんぼ玉が作られ、多くの人々を魅了している。
 日本には江戸時代に南蛮貿易により伝来。表面に円文様をあしらった、とんぼの眼を思わせることから「とんぼ玉」と呼ぶようになった。以来400年あまり、様々な製法や表現方法が発達し、今では多数の現代作家のもとで美しいとんぼ玉が作られている。
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2007/8/7


真福寺 Shinpuku-ji Shinpukuji Temple

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 真福寺(しんぷくじ)は、愛知県岡崎市真福寺町薬師山にある天台宗の寺である。本尊は水体薬師。通称・三河薬師と呼ばれている。
 推古天皇二(594)年、物部の守屋の次男・真福が、山の頂きにて霊光輝く湧き出る泉を発見した所、薬師如来が水中より顕れた。真福は非常に感激し、本堂を建立したのが真福寺の始まりとされる。
 本堂の中心に八角の御堂があり、その中の井戸の水が本尊である。水の体の薬師、水体薬師といい、この水が目と身体に大変良いという事から、以来1400年、水の信仰が続いている。
 鎌倉時代には最も栄え、36坊の末寺を有した。現在は、身体健康と目のお薬師様として愛知県下はもとより全国から多くの信仰を集めている。
 真福寺は、古い伝説を持つ、今も篤く崇敬されている古刹である。
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2007/6/13


大鰐町 石の塔 Oowani-machi Ishi-no-tou 

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 大鰐町(おおわにまち)の石の塔は、青森県南津軽郡大鰐町早瀬野にある高さ24m、周囲74mの巨石である。
 青森・秋田県境の山中にあり、江戸時代には天から降ってきたものと信じられていた。
 巨石神信仰が、仏教の薬師如来が降臨した「石の塔薬師」であると混淆(こんこう)され、石の霊力が人の病気や災いを払うと信仰されてきた。
 この石の塔を神体として祀る久須志神社「石の塔薬師堂」が石の根元に建っている。
 津軽地方では「石の塔を見ないでホラを言うな」という言い伝えがあり、大鰐町では毎年旧暦の4月8日の石の塔の例祭日に「万国ホラ吹き大会」が行われている。
 大会は、参加者が考えた奇想天外な話や夢物語が披露され、抱腹絶倒のホラで大いに盛り上がる。
 大鰐町の石の塔は、眼の神様として今でも篤く信仰されている。
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2007/2/19


福笑い Fukuwarai 

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 福笑いの起源は明らかになっていない。江戸時代後期から遊ばれ始め、明治時代にはお正月の遊びとして定着した。
 遊び方は、顔の輪郭を描いた紙の上に、布などで目隠しをされた者が切り抜いた眉、目、鼻、口などを、正しいのではないかと感じる位置に並べていく。
 絶対的なルールはなく、「正確な位置に置いた者の勝ち」「面白い顔を作った者の勝ち」など、その時々で勝敗を決める。
 そもそも、勝敗を決めずに皆で顔の出来上がりを見比べるだけでも、十分楽しめる遊びである。
 代表的なものは「おかめ」「おたふく」であるが、軍人や、近年ではアニメキャラクターなども製作されている。
 福笑いは、一年のはじめの正月において、笑うことによって福を招くという伝統的遊戯である。
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2007/2/14


滝谷不動明王寺 Takidani-fudou-myouou-ji Takidani Fudo Myo-o Temple

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 滝谷不動明王寺は大阪府富田林市に位置する真言宗智山派の寺。山号は滝谷山。日本三大不動の一つとして知られる。
 厄除、眼病平癒のご利益があるとされ「目の神様」、「芽の出る不動様」とも呼ばれる。
 弘仁十二(821)年、弘法大師空海により開基。寛正四(1463)年、戦火により嶽山の中腹から現在の場所に移築された。
 本尊である不動明王立像と脇侍の矜羯羅(こんがら)、制咤迦(せいたか)童子立像は空海の作と伝えられ、国の重要文化財に指定されている。
 毎月28日は不動尊御縁日が行なわれ、周囲に出店が立ち並ぶ歩行者天国となり、3万人の参拝客が訪れる。
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2006/12/15


浮立面 Fuyumen Furyumen

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 佐賀県鹿島市の郷土芸能である「面浮立(めんぶりゅう)」で、かけうち(踊り手)がつける鬼の面を浮立面(ふりゅうめん)と言う。
 面浮立は豊作や雨乞いを願う、この地方独自の伝統芸能。踊り手は鬼の面(浮立面)をかぶり、頭にシャグマ(毛または麻)を着け、前には小太鼓を吊り下げ、笛、鉦、太鼓など囃子に合わせて手を振り足を上げて踊る、それは勇壮な踊りだ。佐賀県の重要無形民族文化財にも指定されている。
 このとき着ける「浮立面」には雄と雌の2種類ある。雄は口を結び、目の玉が大きく、額に皺の線が寄り、大きな角が生えている。雌はそれに対して角が短く、口を大きく開け、舌を大きく伸ばし、目は吊り上がっている。面師が昔ながらのノミを振るい、楠、桐、桧、能古見杉などの木目を活かしながら、丹誠込めて緻密に彫る面浮立は、見る者を圧倒する凄みを持つ。
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2006/12/11


弘前のねぷた祭り Hirosaki-no-Neputa-matsuri The Neputa festival of Hirosaki

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 弘前ねぷたは、青森県弘前市で開催される弘前四大まつりのひとつである夏祭り。大勢の市民が「ヤーヤドー」の掛け声とともに、武者人形や武者絵が描かれた山車を引いて市内を練り歩く。 扇ねぷた(扇型)と組ねぷた(人形型)を合わせると約70台ものねぷたが運行される。
 ねぷたは、文禄2年(1593年)藩祖佐藤為信が京都滞在中、盂蘭盆会で都人に見せるため、二間 四方の大燈籠を出したのが始まりと伝えられている。
現在の弘前ねぷたは、子どもねぷた、前燈籠など、さまざまな趣向を凝らし、躍動感あふれる美しさが圧巻だ。勇壮な鏡絵と裏の妖艶な美女の見送り絵。囃子の音色に太鼓の力強い響きは情緒たっぷり。
 弘前ねぷたは、昭和55年(1980年)には国の重要無形民俗文化財に指定された。
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2006/11/29


橋本弥喜智商店 Hashimoto-Yakichi-shouten Hashimoto Yakichi Store

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 日本の伝統を受け継ぎ、今なお手描きで鯉のぼりを製作している「橋本弥喜智商店」。明治41年に創業、現在では三代目の橋本隆氏が継いでいる。鯉のぼり生産量日本一の埼玉県加須市にある鯉のぼり専門店の中でも、手描きの伝統を守っているのはここだけだ。
 手描きにこだわるには理由がある。手描きの鯉には、手描きの味に加えて、染めつけに顔料を使うためすぐに退色しない。また泳ぐ姿も、ナイロンより綿の方が重厚に見えるのだという。
 一方「ただ伝統を守ることだけが伝統の継承ではない」という信条を持つ。初代から続く「武州」という鯉のほかに、現代に合う幾つもの新作を誕生させてきた。
 プリントでは味わえない伝統の技が元気良く空に舞う姿が、今年も全国各地で見られそうだ。
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