NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/3/11


古四王神社 Koshiou-jinjya 

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 古四王神社(こしおうじんじゃ)は秋田県秋田市にある神社である。
 室町時代、元亀元(1570)年に領主である戸澤兵部が飛騨の名工・甚兵衛に作らせたものといわれている。
 豪快な組み合わせと、社殿の上部や軒の飾り、薄肉彫りの菊の向拝、手挟みの上にある蛙股、擬宝珠など優雅で美しい彫刻、そして釘が一切使われていないことが特徴である。
 神社の歴史はさらに古く、もともとは鰐田浦(あぎたのうら)の神が祀られていたが、阿部比羅夫(あべのひらふ)征夷大将軍が大遠征でこの地に赴いた折に、大彦命(おほひこのみこと)を合祀、越王(古四王)と称したといわれている。
 明治四一(1908)年、国の重要文化財に指定されている。
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2007/11/7


三ケ所神社 Sangasyo-jinja Sangasho Shrine

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 五ヶ瀬町は、宮崎県の北西部、九州のほぼ中央部に位置し、ここに花の名所として知られる三ケ所神社(さんがしょじんじゃ)がある。天孫降臨(てんそんこうりん)の地と伝えられる二上山(ふたがみやま)の祠(ほこら)を、山麓に降ろして建てられた神社で、イザナキとイザナミを主祭神として祀っている。
 創建は昌泰年間(898~901)、元亀二(1571)年に再建された。文化一四(1817)年に建てられた本殿は1本の欅から造られた見事な流造り。当時の名工による手の込んだ木彫が美しい。
 三ケ所神社では春例祭がおこなわれる頃、四月中旬~五月下旬にかけて、境内にあるつくししゃくなげ一万二千本が咲き乱れる。そのほかしだれ桜、椿が満開時見事な姿をみせる。
 また、国の重要無形文化財に指定されている三ケ所神社等に奉納される「荒踊」は、九月最終土曜日に奉納され、戦国時代の武者装束をつけて踊る勇壮な舞として知られる。
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2007/10/9


相模原 中野神社 Sagamihara Nakano-jinja Nakano Shrine in Sagamihara

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 相模原の中野神社(さがみはらのなかのじんじゃ)は、神奈川県相模原市津久井町中野にある神社である。祭神は御穂須々美命(みほすすみのみこと)、豊宇気比売命(とようけひめのみこと)、栲幡千々姫命(たくはたちぢひめのみこと)。
 承和二(835)年に創建され、元亀二(1571)年、再建されたと伝えられる。
 本殿は総浮彫、総檜造りの立派なもので、寺には茅輪(ちのわ)と言う輪があって、この茅輪をぐるぐると3回くぐれば厄払いの効果があるとされている。
 中野神社祭礼として、毎年7月の第4土曜日に神事、日曜日に祭事が行われている。300年の伝統がある祭りの際には、神輿が担がれ、6台の山車の囃子の競り合いはまさに圧巻の迫力がある。
 相模原の中野神社は、地元で篤く崇敬されている神社である。
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2007/5/29


石部宿 Ishibe-juku Ishibe-juku

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 石部宿(いしべじゅく)は、滋賀県湖南市にあった東海道51番目の宿場である。
 宿場の誕生については諸説ある。
 元亀二(1571)年、信長の治下で5ヶ村が合わさり「石部町」を形成した時点とする説。
 慶長二(1597)年、秀吉治下で信濃善光寺の輸送に役夫・伝馬を課せられた時点とする説。
 慶長六(1601)年、東海道各宿に朱印状が発せられ、伝馬徴発の定書が下付された時点とする説などである。
 石部宿は「京立ち石部泊り」と言われ、京都を出て1日目の行程に位置していた。近くには金山の採掘跡があり、堅実な人の例えで呼ばれる「石部金吉」はここから来ている。
 現在、石部宿駅や田楽茶屋の無料休憩所が整備されている。
 石部宿は、伊勢参宮街道との分岐点として多くの旅人で賑わった、京都から江戸へ下る旅人の多くが最初に宿泊した宿場である。
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2007/3/22


浜松城 Hamamatsu-jyou 

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 戦国時代の元亀元(1570)年に、徳川家康が遠州(現静岡県の大井川の西部)攻略の拠点として築城。現静岡県浜松市に所在。
 徳川家康は29歳から45歳までの17年間をこの浜松城で過ごした。徳川の治世は、ここから始まったと言える。家康が駿府城に移った後は、代々の徳川家ゆかりの譜代大名が居城。このことから、浜松城は後に「出世城」と呼ばれるようになったという。天保の改革で知られる水野忠邦も自ら望んで城主となっている。
 現在は緑豊かな「浜松城公園」として整備され、市民の憩いの場となっている。築城当時の姿をとどめる石垣の上には、昭和三三年に再建された天守閣があり、鎧や刀剣などを展示する博物館となっている。展望台からは浜松市内が一望でき、晴れた日には富士山も望める。桜の名所としても有名だ。
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2007/3/13


田中城 Tanaka-jyou Tanaka Castle Ruins

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 田中城は、静岡県藤枝市にあった城である。別名亀城。
 元亀元(1570)年、今川の城であった徳之一色城を攻略した武田信玄が、馬場美濃守に命じて増築したのが田中城である。
 天正10(1582)年、徳川家康との戦いで、武田方の駿河江尻城主が徳川方に寝返った事により田中城は完全に孤立し、城主の依田信蕃は、徳川氏の勧めで最終的に開城を決断した。
 その後、一番外側の総郭が慶長6(1601)年に酒井氏によって増築され、明治に至るまで田中藩主の城として使用され続けた。
 明治元(1868)年、明治維新と共に廃城となる。
 田中城は、全国でも珍しい円形輪郭式縄張の城であった。
 現在は、本丸・二の丸に西益津小学校、三の丸に西益津中学校が建てられている。
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小山城 Oyama-jyou Oyama Castle

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 小山城は、静岡県榛原郡吉田町にあった城である。
 室町時代から戦国時代にかけて、この地には今川氏によって築かれた山崎の砦があったが、永禄11(1568)年、武田信玄が遠江をおさえる第一歩として、砦を再築した。
 元亀2(1571)年、信玄の命により馬場美濃守信房が修築、小山城と命名される。
 その後、武田氏と徳川家康との激しい戦いがこの地で繰り返されたが、敗北を悟った武田方は天正10(1582)年、城に火をかけて逃亡し、廃城とした。
 現在、小山城跡地は能満寺山公園となっており、三重堀などの遺跡や「展望台小山城」内の武田氏ゆかりの品々が、当時の面影を偲ばせている。
 小山城は、戦国の昔を戦い抜いた、実戦的な古城である。
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2007/2/27


弘仁寺 Kounin-ji 

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 弘仁寺は奈良県奈良市、虚空蔵山に位置する高野山真言宗の寺院。山号は虚空蔵山。
 弘仁五(814)年、嵯峨天皇の勅願で小野篁が建立、年号を取り弘仁寺とした。又は大同二(807)年に虚空蔵山に流星が落ちるのを見た弘法大師が、霊山として開基したとも言われるが、明らかではない。
 元亀三(1572)年に戦火により焼失、寛永六(1629)年に復興を遂げた。
 明星堂の本尊である木造明星菩薩立像は弘法大師の作とされ、現在奈良国立博物館に寄託されている。
 4月13日の「十三参り」が有名であり、「高樋の虚空蔵さん」に知恵を授かろうとする親子連れで賑わう。
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