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2007/10/18


小田城 Oda-jyou 

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 小田城は茨城県つくば市、宝鏡山の麓に位置した城である。
 鎌倉時代初期に小田氏の祖である八田知家が築城した。源頼朝の重臣であった知家は常陸守護に任じられ、以降小田氏は関東で勢力を誇った。
 延元四(1339)年、常陸に上陸した北畠親房が小田城で神皇正統記や職原抄を記したことでも知られる。
 茨城県下でも有数の城跡であり、国指定史跡にも指定されている。
 完全な平城であり鐘楼台と涼台が僅かに高い以外は殆どが平地。元々は方形の武家屋敷が増築を繰り返し大きくなったとされる。
 以前は筑波鉄道の線路が引かれていたが現在は廃線となり、遊歩道として整備されている。
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2007/5/14


磯良神社 Isora-jinjya 

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 宮城県色麻町にある磯良神社は、色麻町ののシンボルである河童を御神体にした珍しい神社である。
 今から約1200年前の延暦二二(804)年、征夷大将軍坂上田村麻呂が東夷征伐の時に、常陸国鹿島郡から磯良明神を勧請して祀ったのが始まりと伝えられる。阿度目神や河童明神とも言い、広くに「おかっぱ様」という名で知られている。元は、ここより南方にあった真山三十郎(大崎氏の家臣)の屋敷の氏神として祀られていたが、後に現在の色麻町に移された。木彫りの河童の像を御神体としており、縁結びや子宝に御利益があると言われている。御神体は60年に一度、開帳される。
 この神社の宮司は代々「川童」という姓を名乗っている。
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2007/5/2


高松張子 Takamatsu-hariko 

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 香川県高松市で作られている日本古来の人形や玩具。
 その歴史は江戸時代に常陸国(茨城県)から松平頼重がこの地に移封された時、張り子製法が伝えられたことに始まると云われている。
 張子は和紙を重ねて貼り合わせていく技法である。高松張子には人形姿のものが多く、おかっぱ頭に細い目で微笑んだほのぼのとした顔の「ほうこうさん」と呼ばれる人形は特徴的だ。
 昔の言い伝えでは、病気になった姫を救おうと御殿の女中が、自分に病気を移し身代わりとなった話からこの「ほうこうさん」の張子人形が作られるようになったといい、それ以来病気の子供に人形を抱かせて、海に流せば病気が治るというお守りとして伝えられてきた。
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2007/4/20


池上本門寺 Ikegamihonmonji Ikegami Honmonji Temple

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 池上本門寺は、東京都大田区池上にある日蓮宗大本山である。。
 弘安五(1282)年、病を抱えていた日蓮は、布教の拠点であった山梨から常陸(茨城県)の湯治場へ向かう途中、武蔵国千束郷と呼ばれていたこの地にあった池上宗仲の屋敷に到着し、20数日後にここで没した。
 日蓮が荼毘に付された後、池上宗仲がこの地を寄進し、日蓮の弟子の日朗が伽藍を建立したのが本門寺のはじまりである。第2次世界大戦の戦火をくぐりぬけた1607年建立の五重塔は国の重要文化財に指定されており、季節の移り変わりの中で壮麗な姿を見せてくれる。
 また、境内北側の庭園「松涛園」は、西郷隆盛と勝海舟が江戸城明け渡しの会見をしたと伝えられる、歴史的な場所である。
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2007/3/19


茂木城跡 Motegi-jyou-ato Motegi Castle Ruins

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 鎌倉時代初頭の建久八(1197)年の築城。宇都宮氏の二代目、宇都宮宗綱の弟、八田知家により建てられ、ここを本拠地として茂木(もてぎ)氏を名乗った。
 茂木氏は、足利尊氏、鎌倉公方に従い、永享十二(1440)年には鎌倉公方の足利持氏の子春王丸、安王丸が茂木城に挙兵、結城合戦の因にもなった。しかし、永禄九(1556)年に佐竹氏に攻められ落城。以降、佐竹氏に従った。
 天正十三(1585)年には北条市に攻められ再び落城。しかし十八代治良の時代に返り討ちを遂げ、常陸小川城(現茨城県)に居城を移す。茂木城には佐竹氏の配下である須田氏が入城。
 茂木城は、現在では城山公園として整備され、市民の憩いの場となっている。春には桜やツツジが咲き乱れ、夏には新緑が美しく、秋にはヒガンバナが咲き、紅葉で山を染め上げる。
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2007/3/1


久慈川 Kuji-gawa The Kuji River

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 福島県、茨城県を流れる一級河川。流路延長527キロメートル、流域面積1490平方キロメートル。
 川の名前は、久慈郡を流れることからついたものであるが、久慈という地名は、奈良時代の常陸国風土記の記述に「古老のいへらく、郡より南近くに小さき丘あり。かたち、鯨鯢に似たり。倭武の天皇、よりて久慈と名づけたまひき」とあるのに由来するといわれている。
 自然豊かな久慈川は、水際での散策や親水レクリエーション、高水敷でのスポーツなどの場として活発に利用され、清流として有名な流水は、流域の貴重な水源にもなっている。
 また、沿川では多くの県立公園が立地され、四季を通じ観光客で賑わいを見せる。
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2007/2/28


大杉祭 Oosugi-matsuri Osugi Festival

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 近隣からあんば信仰、天狗信仰として崇められる大杉神社で毎年10月に行われる例祭。
 ハッピ姿の引き手たちが引き回す山車の周りを、鉦、太鼓、笛の音が奏でる舞曲「あんば囃子」(国の選択無形民俗文化財)が盛り上げ、踊り手たちがリズミカルに舞う。
 起源は古く、四代将軍家綱の頃に天然痘が流行し、そのときに村人たちが神社の守り神であった天狗の面を担ぎ出し、村中を練り歩いて悪病退散を祈ったのが始まり。
 大杉神社の場所は、古くには「アンバ」と呼ばれ、銚子と浜崎を湾口とし、現在の霞ヶ関(西浦、北浦)、利根川、印旛沼、手賀沼を含む広大な内海に、突出した半島上にあった。この半島は『常陸風土記』では、安婆島(あんばじま)と記載され、先端に一本の巨杉があった。この巨杉(大杉)が、人々を守護する神様として、「あんばさま」と呼ばれ崇められた。
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弘道館 Koudou-kan 

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 江戸時代後期に日本の常陸国水戸藩に作られた藩校。
 天保12(1841)年、烈公(徳川斉昭)により、水戸城三の丸に開かれた。敷地の総面積は約2万平方メートル。正庁を中心に右に文館、左に武館を配し、天文・数学・地図等の館と、養牛場・薬草園を持つ医学館などが立ち並び、総合大学の偉容を示していた。
 現在は、茨城県営の都市公園の1つである弘道館公園(こうどうかんこうえん)となっている。国の特別史跡に指定されており、正庁・至善堂・正門は国の重要文化財に指定されている。
 敷地西側の大半は武術調練場と馬場で、中央の広場の梅林の中に鹿島神社と孔子廟が祀られ、早春には構内外で美しい梅の花が見られる。
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