NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/6/6


延年舞 Ennen-mai 

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 延年舞(えんねんまい)は、日光の輪王寺で舞われている千年以上の歴史を持つ舞曲であるという。
 天台宗の慈覚大師・円仁(じかくだいし・えんにん)が、唐から将来した秘舞曲とされ、寺伝によると祥元(848)年に、慈覚大師が日光山に来山した際に伝えられたという。
 延年舞は、毎年5月17日の午前8時に行われ、太鼓の音が鳴り響くと牡丹や唐草模様が描かれた、緋色の直垂(ひたたれ)に身を包んだ「舞衆(まいしゅう)」と呼ばれる二人の僧侶が登場する。
 朗々と声明(しょうみょう)を唱える一山の僧侶を背に、上座(じょうざ)の舞衆が重々しく、下座の舞衆が烏帽子(えぼし)を着けて軽やかに舞を奉納する。
 東照宮春季例大祭にさきがけて舞われるもので、現在は輪王寺と岩手県の毛越寺(もうつうじ)に残るのみであるという。
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2008/4/11


天海 Tenkai 

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 天海(てんかい)は江戸時代初期、天台宗の僧。
 天文五(1536)年、会津(現・福島県)生まれ。11歳で出家し、18歳の頃に比叡山に入る。華厳、唯識、禅、儒学や易教、国学を修めた。
 慶長一三(1608)年頃に、徳川家康の知遇を得る。家康の参謀、朝廷との交渉役として活躍。仙波(埼玉県川越市)の北院(喜多院)や江戸崎(茨城県那珂町)の不動院の住職を兼任し、延暦寺や日光山の整備・再興にも従事した。
 仏法と王法の合一を説いた「山王一実神道」の奥義を、天海は家康に伝授する。家康の死後、東照大権現を贈号して、江戸から日光への遷葬を指揮した。遂に家康を日本の守護神に祀りあげた。
 その後も、東叡山・寛永寺の創建や都市計画を指導、江戸鎮護を構想し続けた。108歳で入滅。その5年後に、朝廷より慈眼大師号を追贈された。
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2007/9/28


日光彫 Nikkou-bori Nikko Carving

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 日光彫(にっこうぼり)は、栃木県日光市に伝わる伝統工芸品である。
 寛永一一(1634)年、三代将軍徳川家光は、東照宮を現在の荘厳な社殿に造り替えることを宣言し、全国から宮大工、彫物大工、漆工、金工、絵師など名匠たち延べ168万人を集めた。
 そのうち彫物大工は40万人もおり、これらが仕事の余暇に彫ったものが、日光彫の起源といわれている。
 東照宮完成後、日光に残った彫物大工たちは東照宮の補修や整備にあたる一方、お盆や箪笥などを彫り続け、日光見物に訪れる人々にお土産として売った。また、明治以後は盛んに輸出された。
 樹種は主に栃の木を用い、高級品には彫刻の上に堅地漆で仕上げた日光堆朱塗(ついしゅぬり)が存在する。
 日光彫は、木の持つ暖かさと一つずつ丹念に彫り上げた手作り感が心地よい伝統工芸品である。
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2007/7/30


岩木山神社 Iwakiyama-jinja 

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 青森県弘前市百沢(ひゃくさわ)の岩木山(いわきやま)の南東にある神社。
 宝亀一一(780)年、岩木山の山頂に社殿を建築したのが起源とされている。
 岩木山大神の加護によって東北平定ができたとして、延暦一九(800)年に室町時代の武官であった坂上田村麻呂が山頂に社殿を再建した。その際、十腰内(とこしない)に下居宮(おりいのみや)を建て、山頂を奥宮とした。
 寛治五(1091)年に、十腰内地区から岩木山東南麓の百沢に写したのが、現在の岩木山神社となっている。
 藩政時代には、津軽家の厚い信仰をうけ、現在の社殿のほとんどは江戸時代初期のものであり、桃山時代の精巧な彫刻が彫られており、奥の日光とも呼ばれる。
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2007/2/16


尾瀬 Oze Oze Marsh

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 日本のほぼ中央、福島県・新潟県・群馬県の三県にまたがる日本を代表する高層湿原で、日光国立公園に指定された地域。
 立ち入りが厳しく制限され、日本の自然・環境保護運動の象徴でもある。国立公園特別保護地区の指定を受けており、重要な保護対象とされている。また、文化財保護法における特別天然記念物にも指定されており、現状の変更などが厳しく禁止されている。
 この様に二重三重の保護規定で厳重に保護がされているのは、尾瀬の自然が大変貴重なものだからである。一万年以上前の燧ヶ岳の火山活動で噴出した溶岩流が、只見川などの源流をせき止めて出来たものといわれ、周囲を山で囲まれた盆地で、その中に多彩な生態の自然が閉じ込められている。尾瀬ヶ原は、標高1400メートルの本州一広大な高層湿原で、天水のみに依存している為、特異な植物を構成している。
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2006/12/18


男体山 中禅寺湖 Nantaisan Chuzenji-ko Mount Nantai and Lake Chuzenji

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 栃木県日光を代表する風光明媚な景観。中禅寺湖は、周囲約25キロメートル、最大水深163メートル、水面の海抜高度1269メートル。人造湖を除く広さ4平方キロメートル以上の湖としては、日本一高い場所に位置する湖だ。
 約2万年もの昔、男体山の噴火による溶岩で渓谷がせき止められ、原形ができたといわれる。発見されたのは782年。日光開山の祖、勝道上人(しょうどうしょうにん)が男体山の登頂に成功した際に、山上から湖を見つけたという逸話が残っている。
 日本百名山のひとつで、栃木県を代表する山である男体山は、「日光」という呼び名の起源とされている。かつては山岳信仰の修験者たちが訪れ、験修道として隆盛した女人禁制の山であった。山頂には二荒山神社の奥宮があり、毎年夏に行われる登拝登山では御来光を拝む人で賑わう。
 中禅寺湖を背景にして男体山を望む景観は壮観である。湖を遊覧船でめぐる観光も人気が高い。
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日光杉並木 Nikko-suginamiki Cedar Avenue of Nikko

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 日光街道・例幣使(れいへいし)街道・会津西街道の三街道の両側に続く、約13000本からなる総延長約36キロメートルにも及ぶ杉の並木。我が国で唯一、国の特別史跡・特別天然記念物の二重指定を受けている文化遺産である。
 徳川家康の家臣松平正綱が日光東照宮に寄進するために、約二〇年をかけて植林したといわれており、世界最長の並木道としてギネスブックに登録されている。
 しかし、近年は排気ガスなどによる生育環境の悪化や杉自身の老齢化などにより、年間約100本の杉が枯れるなど、このままでは、近い将来杉並木の景観が 失われてしまう危機的な状況にある。その対策のひとつが「杉並木オーナー制度」だ。
 古いものでは樹齢370年を超える杉の巨木が空を覆うように生い茂り、神々しいまでの荘厳さを醸し出す日光杉並木は、後世に残すべき景観のひとつである。
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2006/11/29


百物揃千人武者行列 Hyakumonozoroe-sennin-mushagyouretsu Hyakumonozoroe Sennin Musha Gyoretsu

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 「百物揃(ひゃくものぞろえ)千人武者行列」は、徳川家康の柩を久能山から日光に移した際の行列をそのまま再現したと言われる一大絵巻。栃木県日光東照宮で行われる年中行事である。
 毎年春(5月18日)と秋(10月17日)の年2回開催される例大祭のハイライト。正式には「神輿渡御(しんよとぎょ)」という。午前中に日光二荒山神社を出発し、家康や源頼朝、豊臣秀吉を祭る三基の神輿を守るように騎馬、弓持ち、鎧(よろい)武者など総勢千二百人が表参道から御旅所までの約1キロを練り歩く。その様は圧巻。毎年十万人もの観光客らが訪れ、古式ゆかしい優雅な時代絵巻を堪能している。
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