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2008/3/4


六原張り子 Rokuhara-hariko 

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 六原張り子(ろくはらはりこ)は、岩手県金ヶ崎町で、主に和紙を用いて作られている伝統的な張り子である。
 その興りは昭和三十(1955)年ごろと比較的新しく、木彫りのお面が不足したための代用として、張子でお面を製作したことから始まったとされる。
 その後、金ヶ崎で昭和四八(1973)年から本格的に作られるようになって次第に全国にもその名を広め、現在に至っている。
 製作には県内産の和紙を用い、通常の張り子とは違って裏から何枚も重ね貼っていく独自の「裏張り」技法を駆使して、郷土芸能に用いられる鬼剣舞面や神楽面、またその年々の“干支”の人形などを作っている。
 裏張り技法を用いる事でより細かな造形を行うことができ、軽くて丈夫、ユニークな造形をもった和紙面や和紙人形を数多く生み出している。
 上向き加減になっている目が特徴で、色合いも素朴なものが多く、手作りならではの温かみを持った味わい深い張り子だ。
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2008/2/22


会津天神 Aizu Tenjin 

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 猪苗代湖の西側に広がる会津若松市では、数々の郷土玩具が生産されている。中でも代表的なのが、会津若松張子(あいづわかまつはりこ)である。張子とは、人形の形をした木型に和紙を糊で幾重にも張り合わせて乾燥させた後、木型を取り出して和紙に彩色を施したものをいう。
 豊臣秀吉に仕えた蒲生氏郷(がもううじさと)が鶴ヶ城主として伊勢から国替えを命じられた際、下級武士の糧になるようにと京都から職人を招き、その技術を修得させたのが始まりといわれている。この地方の張子は「赤もの」とも呼ばれ、疫病除けに効果があるという赤色を基調に彩色されている。東北地方で作られる張子の中では最も古い。
 「会津天神」はその一つで、学問の神様として信仰される菅原道真にちなみ、頭が良くなるように、出世するようにとの気持ちが込められている。昔ながらの技法で丁寧に手作りされ、その顔つきの温和さと品の良さで人気が高い。平成九(1997)年三月、福島県の伝統的工芸品に指定された。
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2008/2/7


おばけの金太 Obake-no-kinta Obake no Kinta

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 「おばけの金太(きんた)」は、熊本県熊本市に伝わる郷土玩具である。
 からくり人形の頭だけの張り子玩具で、頭の後ろにある紐を引くと、どんぐり目玉がひっくり返って「あかんべぇ」と舌を出すのが大きな特徴である。頭の中に竹ばねが入っていて、紐を引くと舌と目が一緒に動くようになっている。真っ赤な顔に黒い烏帽子をかぶった姿は強烈な印象があり、子どもには怖がられているが、大人には人気のある玩具で知られている。
 加藤清正が熊本城を築城したとき、顔だちが面白く、人を笑わせることが上手な「おどけの金太」と呼ばれていた足軽の金太という人気者がいた。嘉永年間(1848~1853)、金太の伝説をもとに人形師である西陣屋彦七(にしじんやひこしち)がからくり人形を作りだしたのがはじまりといわれ、その後「おばけの金太」を別名「目くり出し人形」と呼ぶようにもなった。
 このからくり人形は、仕掛けとなる竹ばね作りが出来上がりを左右するといわれている。
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2008/1/30


登米秋まつり Toyoma-aki-matsuri Toyoma Fall Festival

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 毎年九月第三週の土日、宮城県登米市では登米(とよま)秋まつりが開催される。地域全体を守護する総鎮守の例大祭で、三百年以上に渡り継承されてきた。
 土曜日は本祭りに先立ち、矢を放ち魔を退散させる蟇目(ひきめ)の儀、大的式(おおまとしき)といった弓の儀式が奉納される。また宵祭りとして、午後五時から伝統芸能伝承館森舞台にて、県指定民俗文化財の登米薪能(とよまたきぎのう)が奉納される。
 翌日は本祭となり、武者行列、女性達の美しいよさこい踊り、稚児行列などが街を練り歩く。子供達の登米囃子の音色とともに、各町内会から繰りだす巨大な山車はおよそ一三台。和紙を使った張子は今にも飛び出してきそうな勇ましい虎や、手足を動かし泡を吹くカニ、西遊記などをテーマとした親しみやすいものだ。
 町中あげて盛り上がる宮城の秋の風物詩である。
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2007/12/14


七夕踊 Tanabata-odori 

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 鹿児島県いちき串木野市の大里地区で、毎年月遅れの七夕にあたる八月七日に近い日曜日に開催されるのが「七夕踊(たなばたおどり)」である。五穀豊穣を祈るこの祭りは、国の重要無形民俗文化財に指定されている。
 大里地区出身の者は、必ず一度は太鼓を打たないといけないと言われており、県外に出ている者も毎年この踊りに参加するため帰省する。
 この踊りは約四〇〇年前に、島津義弘の朝鮮の役での凱旋祝いをたたえたものとして踊られたのが始まりとされる。
 太鼓踊りを中心に「つくいもん」と呼ばれる牛・虎・鶴・鹿などの大きな張り子の作り物が登場し、狩人とのやりとりを披露する。大名行列、琉球王行列、薙刀行列、甲冑行列などの行列が繰り出され、太鼓と鉦を持った二〇数名によって風流念仏(ふりゅうねんぶつ)太鼓踊りが踊られる。大里地区の色々な神様や先祖霊に踊りを奉納し、豊作を願う。
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2007/8/9


松川だるま Matsukawa-daruma Matsukawa Daruma Doll

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 仙台張り子の中でもよく知られているのが、松川だるまである。
 本毛の眉、ガラスの目、顔の周囲は海の青を表す群青色で彩色されている点が特徴である。
 腹部には浮き出しにした宝船や福の神、松竹梅、えびす大黒、滝のぼり、一富士二鷹三茄子、などの様々な縁起物が描かれていて、信仰の対象、縁起物として親しまれている。
 このような豪華絢爛な現在の様式に改良したのは、明治の仏師二代目面徳・高橋徳太郎(天保一(1830)年~大正二(1913)年)。
 古くから仙台庶民に親しまれてきたこの松川だるまは、今から約170年ほど前、伊達藩の藩士・松川豊之進が創始したことにより名付けられたという説が有力である。その後、藩内下級武士らの内職として制作されていた。
 最初から両方の黒目が塗られているのは、伊達政宗に配慮して、という説もある。
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2007/8/6


仙台張子 Sendai-hariko Sendai Hariko (Papier-Marche)

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 仙台張子(せんだいはりこ)とは、型を作ったその表面に十二支の動物や福助、お面などの描彩を施した紙製の玩具である。
 藩政時代の天保年間(1830~1844)に、伊達藩下級藩士が創始したといわれ、以来、明治の中ごろまで下級武士たちの手内職として普及、技術の確立が行われていった。
 明治以降には一端途絶えてしまうものの、大正十(1921)年に地元有志の手で復活し、現在に至っている。
 代表的な仙台張子としては「松川だるま」とよばれる、顔の周りを紺青に塗り、目にはガラス玉、腹部には福の神や宝船などがたくさん描かれた、正月の縁起物が古くから親しまれている。
 その他に動物やお面など、出来上がる型は様々あるが、どれにも共通する手作りの温かみと、機械では作り出せないユーモラスな造形が、二百年近くたった今も愛される由縁なのだろう。
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2007/7/12


博多張子 Hakata-hariko 

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 博多張子は、福岡県福岡市にて造られる玩具工芸品である。
 張子は全国各地に生産地があるが、他が木型を使うところを、粘土で型を作っているところが博多張子の特徴となっている。
 博多張子は、江戸時代中期、上方から来た人形師によって始められたといわれる。
 作り方は、木や人形土で造った型に八女手漉和紙(やめてすきわし)を張り、天日で乾かし、二つに割った型を取り出す。その後、ニカワで溶いた顔料を手描きで彩色して仕上げる。
 博多では、男の子が生まれたら端午の節句には張子の虎が、また大晦日には姫だるまが、庶民の暮らしの中で愛されてきた。
 正月、十日恵比須神社で開かれるお祭りにて、縁起物である福笹を多くの人が買い求める。その福笹の飾り物も博多張子である。
 博多張子は、地元の人々に親しまれている、伝統工芸品である。
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