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2008/3/31


観音寺城跡 Kannonji-jou-seki Kannonji Castle Ruins

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 観音寺城跡(かんのんじじょうせき)は、滋賀県蒲生郡安土町石寺にある城跡である。国指定の史跡となっている。
 築城年代は明らかでないが、標高432・7mの繖山(きぬがさやま)、通称観音寺山に近江の守護・佐々木氏累代が居城し、同氏が六角と京極の二流に分かれてのちは、惣家六角氏の居城となった。
 永禄一一(1568)年、六角義賢・義治父子の時、上洛を目指す織田信長に進攻されて落城、以後は廃城となった。
 ほぼ全山を城域として、いたるところに石塁・土塁をめぐらし、大小無数の郭を構築した中世山城として全国有数の規模をもつ。
 山頂付近の西国札所の観音正寺周辺には巨石を組んだ石垣などが残り、ハイキング道としても楽しめる。
 観音寺城跡は、かつての佐々木氏・六角氏を偲ばせる史跡である。
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2008/3/7


乾坤院 Kenkon-in 

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 乾坤院(けんこんいん)は、水野家の菩提寺として知られ、室町時代中期の文明七(1475)年に緒川城の守護を目的に初代城主・水野貞守(みずのさだもり)を開基として作られた。
 創建時、緒川城から見て、ここが坤(南西)の方角の中間に位置したためその名が付いたとされている。また、乾坤が壮大な宇宙を意味することから、山号を「宇宙山」とした由来があるようだ。
 水野貞守は、延文五(1360)年に小河の地で守護土岐氏に攻められて滅亡した小河氏の末裔。のちに四代・水野忠政の娘於大(おだい)は岡崎の松平広忠との婚儀が整ったが、これは水野氏とつながることで松平氏は身の安全を図る、いわゆる政略結婚であった。その後、於大は後の徳川家康となる竹千代を出産する。水野忠政が徳川家康の外祖父となって以来、乾坤院は権勢を誇り、経済的基盤が確立していった。
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2008/2/27


滝山城 Takiyama-jou 

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 滝山城(たきやまじょう)は、東京都八王子市丹木町にあった城である。国指定の史跡となっている。
 永正一八(1521)年、山内上杉氏の重臣で、武蔵国の守護代・大石定重が築城したとされる。
 大石氏は後に、北条氏の軍門に降り、北条氏照は城の大改修を実施した。
 永禄一二(1569)年、小田原攻撃に向かう武田信玄軍2万人が滝山城の北側の拝島に陣をしき、北条氏と激戦となった。滝山城は三の丸まで攻め込まれたが、最後は2000人の寡兵でこれを凌いだ。
 落城は防いだが、滝山城の防備は不十分であるとして、これがきっかけで北条氏は八王子城を築城し、滝山城を廃城にしたという。
 現在、城跡は公園化され、遺構として曲輪、土塁、井戸、空堀などが残されている。
 滝山城は、地形を巧みに生かした、天然の要害であった城である。
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宇都宮城 Utsunomiya-jou 

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 宇都宮城(うつのみやじょう)は、栃木県宇都宮市本丸町にあった城である。
 はじめて宇都宮城を築いた人物は、11世紀の平安時代、藤原秀郷とも藤原宗円ともいわれているが、詳細は判然としない。
 宇都宮氏は鎌倉時代から室町時代・安土桃山時代まで530年にもおよび国司・守護・関東八屋形に列せられ、宇都宮城はその宇都宮氏の居城となり、北関東支配の拠点となった。
 慶長二(1597)年、時の城主・宇都宮国綱は豊臣秀吉により追放され、宇都宮氏は滅亡した。
 以後城主が次々と入れ替わり、明治に入って戊辰戦争で新政府方についた宇都宮城は激戦地となり炎上し、大半の建造物を失った。
 終戦直後までは堀が残っていたが、現在は土塁が少々と公園が残るだけとなっている。
 宇都宮城は、長い間宇都宮の政治・文化の拠点であった城である。
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2008/2/19


御上神社 Mikami-jinja Mikami Shrine

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 三上山は滋賀県にある標高432メートルの美しい三角錐の姿で、近江富士の名で親しまれている。
 その山麓には、鍛冶、刀工の神である天之御影神(あめのみかげのかみ)が宿るとされ、近江の人々の生活を守護する地神となっている。
 御神神社(みかみじんじゃ)はこの天之御影神と三上山を御神体として祀っている。
 本殿は鎌倉時代に建立されている。方三間屋根入母屋造、白壁、連子窓などの仏堂的要素や、居所空間の要素など、神社・仏閣・殿舎の三様式が混合された「御上造」と呼ばれる大変珍しい建物である。
 入母屋造の神社建築のうちでは古い遺構の一つであり、昭和二七(1952)年に国宝に指定され、拝殿・楼門・摂社若宮本殿・木造狛犬も明治三二(1899)年に国指定の重要文化財となっている。
 毎年一〇月中旬には「ずいきまつり」が開催される。宮座と呼ばれる五つの組が里芋の茎で神輿を作り、柿・栗・野菜など秋の収穫物で飾り、五穀豊穣を祝って神社に奉納する。
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2008/2/18


観音正寺 Kannon-shou-ji Kannonshoji Temple

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 西国三十三箇所は、近畿二府四県と岐阜県に点在する霊場であり、日本で最も歴史がある巡礼行といわれている。
 観音正寺(かんのんしょうじ)は、その第三十二番札所にあたる。
 琵琶湖の東岸、標高433メートルの繖山(きぬがさやま)の山頂付近に位置し、まるで現世と離れるかのように粛々と佇んでいる。
 社伝によると、聖徳太子が近江国に創建した寺院で、鎌倉・室町時代には、近江国守護職・佐々木六角氏の庇護を受け、三十三院の子院を擁し、絶大な勢力を誇ったとされている。
 その後、内戦や移築など時代に翻弄される憂き目も見たが、慶長二(1597)年に再び元の山上に戻った。
 以前のような、きらびやかな勢いはないが、現在も万事吉祥の縁結びの祈祷道場として篤く信仰されている。
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2008/1/30


登米秋まつり Toyoma-aki-matsuri Toyoma Fall Festival

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 毎年九月第三週の土日、宮城県登米市では登米(とよま)秋まつりが開催される。地域全体を守護する総鎮守の例大祭で、三百年以上に渡り継承されてきた。
 土曜日は本祭りに先立ち、矢を放ち魔を退散させる蟇目(ひきめ)の儀、大的式(おおまとしき)といった弓の儀式が奉納される。また宵祭りとして、午後五時から伝統芸能伝承館森舞台にて、県指定民俗文化財の登米薪能(とよまたきぎのう)が奉納される。
 翌日は本祭となり、武者行列、女性達の美しいよさこい踊り、稚児行列などが街を練り歩く。子供達の登米囃子の音色とともに、各町内会から繰りだす巨大な山車はおよそ一三台。和紙を使った張子は今にも飛び出してきそうな勇ましい虎や、手足を動かし泡を吹くカニ、西遊記などをテーマとした親しみやすいものだ。
 町中あげて盛り上がる宮城の秋の風物詩である。
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2007/12/25


増永眼鏡 Kazuo Kawasaki Ph.Dのアイウェア Masunaga-megane Kazuo Kawasaki Ph.D-no-Aiuea Masunaga Eyeglass by Kazuo Kawasaki Ph.D

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 増永眼鏡株式会社は、メガネフレームの世界三大生産地の一つとして知られる福井県福井市の、日本で一番古い眼鏡メーカーである。
 この眼鏡は地元出身のデザインディレクターである川崎和男によってデザインされ、2000年シルモ・パリ国際眼鏡見本市で、グランプリを受賞した。
 ねじがまったくなく、軽量でバネ性のあるβチタンをフレームに採用する事で、掛けた時のあたりの柔らかさを追求している。さらにレンズを一つのポイントで固定することにより、テンプルを両側に広げても、両眼のレンズそのものに歪みが生じることはない。そのため、常にレンズと目の瞳孔距離が一定に保たれている。
 「スマート&ハイテクノロジー」というコンセプトの元、川崎和男によるインダストリアルデザインと、増永眼鏡の卓越した技術力とで実現させた、機能性と品格あふれるメガネとなっている。
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