NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/1/23


とやま土人形 Toyama-tuchiningyo Toyama Clay Dolls

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 江戸時代から継承されている伝統工芸品、「とやま土人形」。丸々とした形と表情が素朴で愛らしい。
 とやま土人形の歴史は、今から150年前、嘉永年間(1848〜54年)に始まる。富山十代藩主前田利保が、名古屋の陶工、広瀬秀信を呼び寄せて千歳御殿に窯を築いて千歳焼を作り、続いてその子安次郎が「天神臥牛」を献上したのがはじまりとされる。
 江戸時代末期以降、作風や形も発展し、縁起物や子どもの玩具として民衆に親しまれたという。
 当時、城下に土人形家は数軒あったが現在土人形師は広瀬家より技法を受け継いだ渡辺家の信秀氏ただひとりとなっている。
 富山市では、伝統の灯を守るために、「とやま土人形伝承会」を発足させ、市を上げて後継者の育成に取り組んでいるという。
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2007/1/18


金沢神社 Kanazawa-jinjya Kanazawa Shrine

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 加賀藩主であった前田家は、菅原道真を先祖としている。その菅原道真を祀って、十一代藩主前田春脩(はるなが)が、寛政六(1794)年に建立したのが金沢神社である。
 この時期、春脩は、藩校、明倫堂を創始しているが、その鎮守神として道真を祀ったのである。
 明倫堂は、兼六園建設のため移動したが、鎮守神は残った。そのため十二代藩主前田斉広が建てた竹沢御殿の鎮守神として、竹沢御殿御鎮守天満宮と称した。金沢神社と改称されたのは、明治九(1876)年のことである。
 県内で一番の受験の神社ということで、合格祈願の受験生たちがたくさん詣で、必死に祈念する姿は印象的である。
 また神社内には、金沢の地名の由来となった、金城霊沢がある。その池の周りを三回巡りお願いをすれば願いが叶う、といわれている。
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2007/1/17


瑞龍寺 Zuiryuji Zuiryu-ji Temple

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 端龍寺(ずいりゅうじ)は富山県高岡市に位置し、江戸初期の禅宗寺院建築として高い評価を得ている寺だ。回廊式禅宗伽藍は全国一、と誉れ高い。
 加賀二代藩主前田利長の菩提を弔うために、三代藩主利常により建立された。17世紀、利長は当時「開野」と呼ばれていた荒野に城を築き、近郊より町人、商人を集めて町立てをし、職人を呼び寄せるなどして一代で百二十万石の財力を築き上げた。
 利長の義弟、加賀藩三代目藩主の利常は百二十万石を譲り受けたことに恩義を感じ、時の名工山上善右衛門嘉広をして七堂伽藍を完備した端龍寺を開山したのだった。
 約20年もの月日をかけて造営、壮大な伽藍は豪壮にして典雅な美しさを持ち、見る者を圧倒する。現在では仏殿、法堂、山門が国宝に、総門、禅堂、高廊下、回廊、大茶道が重要文化財に指定されている。
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善徳寺 Zentokuji Zentokuji Temple

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 富山県南砺市善徳寺は「城端別院善徳寺」と呼ばれ、真宗大谷派の別格別院である。
 創建以来、町の中心となって共に繁栄してきた。加賀一向一揆に代表されるように、真宗と関わりの深いここ北陸地域で、信仰と共に歩んだ歴史を持つ。
 創建は室町時代の文明三(1471)年。本願寺第8代の蓮如上人が開基し、江戸時代の永禄二(1559)年、城端に移された。本尊の阿弥陀如来像は行基が作ったと言われている。江戸時代には加賀藩主前田氏の庇護を受けて越中の頭寺を務め、隆盛を極めたという。境内には龍の彫刻を施した山門や鐘楼などが並び、歴史の重みを感じさせる。
 毎年7月22〜28日の「虫干法会」には、蓮如ゆかりの品々や前田家から寄進された寺宝が公開されるという。
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