NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/8/19


和太鼓集団 GOCOO Wadaiko-syuudan gokuu Japanese Taiko Drum Group “GOCOO”

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 40以上もの和太鼓を自在に操り、大地のビートを奏でる和太鼓集団GOCOO(ゴクウ)。女性7名、男性4名のバチから繰り広げられるその音色は、伝統でもなく、民俗音楽でもなく、ロックでもない。もっとプリミティブでトランシーな、国境も音楽ジャンルも越えたものだ。そしてその中心には、現代のシャーマンとも言うべき淺野香の存在がある。
 トレードマークの長い髪を獅子舞のように振り乱しながら、パワフルにバチを振り下ろす。
 「ライブをやっていると、日常のいろいろが削がれて、魂の中で一番純粋なところ、”愛”と”感謝”だけになる瞬間がある。結局これが”祭り”なんだろうな、と思います。新しいものを表現していると言われるけれど、一番新しいものは一番古いものにつながるんじゃないでしょうか。」
 97年結成。そのトランシーな演奏は海外での評価も高く、ヨーロッパツアーをはじめ海外ライブは100本以上。映画『マトリックス』の音楽も手がけ、今年5月の国連環境会議ではアジア代表としてオープニングを飾っている。
 
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2008/2/29


西方海岸 Nishikata-kaigan 

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 西方海岸(にしかたかいがん)は、鹿児島県薩摩川内(せんだい)市の西側、東シナ海を望む海岸で、晴れた日には25キロメートル先に浮かぶ甑(こしき)列島を望むことができる。
 半円状に美しいアーチを描いた海岸線の先に小島が浮かび、CMや映画のロケ、雑誌の撮影などにも多数利用されている景勝地である。
 周囲は海水浴場としても整備されており、白い砂浜と紺碧の海が大変に美しく、アサリ採りやハゼ釣りを楽しむ人も多く訪れる。
 季節風や台風などの影響からか不思議な形の奇岩も多く、海岸線の上方に高さ10メートル以上もある、まるで親子が寄り添うような形で有名な「人形岩」がある。この人形岩は様々な伝説が伝えられており、海辺で亡くなった母親が人形岩の父と子に会いに行くという話や、海に消えた母親を父と子が待ち続けているという話など諸説ある。夕日を逆光線で見る人形岩のシルエットは、どこか儚げで美しい。
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2008/2/6


仕込み刀 Shikomi-gatana 

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 仕込み刀(しこみかたな)とは、刀とわからないように細工された武器のことである、多くは杖や扇や煙管(きせる)に刀が仕込まれており、大きさも大小さまざまであった。
 仁侠映画などで見る白鞘の短刀も、木刀に偽装した仕込み刀と言えるだろう。
 もともとは、敵の不意をつくための武器、または、狭い場所で能力を発揮するために考え出された、という説もある。また、扇や煙管に細工された仕込刀は、敵に対する武器というより、実際には自害などの最後の手段のための武器であったと言われている。
 特に戦国時代に入ると、相手国や軍の情勢を探ることは戦に勝利するためには重要なことであった。そのため、敵地に進入する場合、武器を隠す必要があったとう。そのため、仕込み杖など様々な形の仕込み刀が考案された。
 江戸時代に入ると「忍び」と呼ばれる密偵のような人々が、全国の大名の情勢を探っていたと言われる。この場合も、外見から武器と気づかれないよう、色々と偽装がほどこされていたという。
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2007/12/14


康楽館 Kouraku-kan 

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 康楽館(こうらくかん)は、明治四十三(1910)年、銅や亜鉛、鉛の鉱山として栄えた小坂鉱山の厚生施設として作られた、木造の芝居小屋である。秋田県鹿角郡小坂町に位置する。
 歌舞伎、新劇、映画等の公開、上演が行われてきたが施設の老朽化やテレビの普及などで衰退、昭和四十五(1970)年には使用を停止されたが、昭和六十(1985)年に市民の手により再興され、現存する日本最古の芝居小屋として、いまも公演が行われている。
 和洋折衷の造りであるが、舞台には花道、切穴、回り舞台などが揃っており、全て人力で稼動する。
 国重要文化財、秋田県指定有形文化財に指定され、明治の息吹を感じながら公演を見ることができる建物である。
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2007/11/14


広沢池 Hirosawa-no-ike 

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 広沢池(ひろさわのいけ)は、京都府京都市右京区嵯峨広沢町にある、周囲1・3mの池である。
 古来、嵯峨野一帯は大堰川の水が流れ込む沼地であったが、秦氏一族の優れた土木技術による灌漑で田園地帯に変わったとされる。
 広沢池は、宇多天皇の孫・寛朝(かんちょう)僧正(916~998)が遍照寺を建立した際に作られたとか、秦氏の手によって作られたと伝わる。
 大分県の「初沢の池」、奈良県の「猿沢の池」とともに日本三沢の一つと言われ、灌漑用の溜池として往古より知られている。
 池から大覚寺・直指庵方面は保存地区に指定され、電柱や看板などが無く、時代劇映画の撮影によく使われている。
 遍照寺山が影を落とす観月の名所であり、周りには桜が多く、春にはのんびりと花見が楽しめる。
 広沢池は、のどかな田園風景と観月で知られる景勝地である。
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石塀小路 Ishibei-Koji 

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 石塀小路(いしべいこうじ)は、京都府京都市東山区下河原町にある道路である。
 祇園・八坂神社の西楼門を出て下河原通りを南に下がると、左手に折れる小さな路地が存在する。それが、石塀小路である。
 明治末期から大正時代にかけて形成された京情緒漂う路地による空間は、ドラマや映画によく登場する名所で、路沿いにひっそりと軒を連ねている料理旅館などを眺めながら歩くだけでも、風情を感じることができる。
 両側に並ぶ町屋の基礎部分の石垣がまるで石塀のように見え、石塀小路という名前の由来が容易に想像される。
 路に敷き詰められた石畳の一部は、昭和五〇年代に廃止された京都市電の敷石を移設したもの。
 石塀小路は、まるで小さな迷路のような、情緒と風情に溢れた石畳の小道である。
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2007/8/10


大名行列 Daimyou-gyouretsu Daimyo’s Procession

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 徳川幕府三代将軍徳川家光は、幕府体制維持のために、武家諸法度に参勤交代をもりこみ制度化させた。これによって大名の妻や子は江戸に居住することを義務付けられ、大名自身は1年おきに江戸と国許を往復しなければならなくなった。この往復する大名一行の行列を大名行列という。
 この大名行列の人数、内容とも大名の石高によって細かく定められていた。よく映画などで見受ける「シタニー、シタニー」の掛け声の露払いを先頭に、六尺、挟み箱、毛槍、弓、鉄砲、徒士、小姓、大名、家老、大名籠、奥女中、腰元、長持などが続いていく。
 江戸時代最大の石高藩、加賀藩では実に二千五百人の行列という記録も残っている。
 江戸時代初期には各藩権威を争い華麗な行列であったが、経費がかさむことから次第に簡素化されていった。
 
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2007/7/20


武田双雲 TakedaSouun Souun Takeda

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 1975年、熊本県生まれ。書道家。3歳より書道家である母・武田双葉に師事。
 東京理科大学理工学部卒業後、約3年間のNTT勤務を経て書道家として独立。以降、狂言師や彫刻家、音楽家などさまざまなアーティストとのコラボレーションや斬新な個展など独自の創作活動を展開。また、多くの門下生を抱える書道教室を主宰する。「書は会話と同じ。自分は書でコミュニケーションを取りたいだけ」と静かにそして熱く語る新世代の書道家である。
 2003年、中国上海美術館より龍華翠褒賞受賞、イタリア・フィレンツェにてコスタンツァ・メディチ家芸術褒賞受賞。映画「春の雪」「北の零年」など数多くの題字も手がけている。著書に「たのしか」「書愉道 双雲流自由書入門」「「書」を書く愉しみ」がある。
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