NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/4/4


箟岳白山祭 Nonodake-hakusan-sai Nonodake Hakusan Festival

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 宮城県遠田郡涌谷町に、古くから信仰の山として広く知られている箟岳山(ののだけさん)がある。この山頂にある箟峯寺(こんぽうじ)で、箟岳白山祭(ののだけはくさんさい)が開催される。
 箟岳白山祭は一〇〇〇年以上の歴史を持っている古式ゆかしい祭り。正月を中心に約一ヶ月間行なわれるのだが、一番の注目行事は一月第四日曜に開催される御弓神事(おゆみしんじ)だ。
 当日は五穀豊穣を願う祈祷が行なわれ、白山様に白米を臼で挽いた「おしとぎあげ」が奉納される。その後小さな三角の烏帽子に鮮やかな直垂(ひたたれ)をまとった二人の稚児が住職に手伝ってもらいながら、一年、一二ヶ月を意味する一二本の矢を射る。
 的中すると好天に恵まれ、はずれてしまうと強風、という具合に、その年の天候や農作物の豊穣の吉凶を占う。 
 可愛らしい稚児の御弓天気占いは当たると好評だ。

 
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2008/2/22


会津 起上り小法師 Aizu Okiagari-koboushi 

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 会津起上り小法師(あいづおきあがりこぼうし)は、福島県会津地方に古くから伝わる郷土玩具の一つ。三センチほどの小さな和紙の張子細工で、稚児をかたどった姿が愛らしい。
 豊臣秀吉に仕えた蒲生氏郷(がもううじさと)が鶴ヶ城主として伊勢から国替えを命じられた際、下級武士の内職として作らせ、正月に売り出したのが始まりと伝えられている。現在も会津若松の中心街で毎年正月一〇日に開催される初市にて、風車などと共に縁起物として売られる。
 この起上り小法師は「七転八起」といって、転んでも転んでも起き上がることから、無病息災と家内安全を祈って神棚などに飾られる。また、家族と財産が増えるよう、家族の数より一個だけ多く買うのが習わしになっている。
 木型に和紙を張り、乾燥させた後に木型から外す。粘土を丸めたおもりを底にはめて糊付けし、赤と黒で彩色する。赤は魔除けを意味し、小法師の着る緋の衣は最高位を表している。
 平成九(1997)年三月、福島県の伝統的工芸品に指定された。
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2008/2/5


政宗公まつり Masamune-kou-matsuri The Date Masamune Festival

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 伊達政宗が青年期を過ごしたことで知られる宮城県大崎市岩出山町。「政宗公まつり」は昭和三九(1964)年、政宗平和像が仙台青葉城跡から岩出山に移された際に始まった祭りで毎年九月、第二週の土日に開催される。
 土曜日は夜から宵祭りとなり、よさこい踊りや政宗大太鼓、提灯が美しい神輿が練り歩く。
 日曜日は本祭り。当時の武者姿を再現した伊達武者行列が現われる。ほら貝をふきながら、威風堂々と練り歩く騎馬武者隊、岩出山伊達家・一六代当主が役を勤める政宗公、愛姫の乗った神輿、支倉常長(はせくらつねなが)の遣欧使節団など本格的で壮大な戦国絵巻だ。
 続いて稚児行列、すずめ踊り、荒駒、忍者などが続いていく。
 弦月形前立てのりりしい姿になれる事もあり、毎年武士志願者が殺到している。町中をあげて盛大に楽しむ秋の風物詩だ。
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2008/1/30


登米秋まつり Toyoma-aki-matsuri Toyoma Fall Festival

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 毎年九月第三週の土日、宮城県登米市では登米(とよま)秋まつりが開催される。地域全体を守護する総鎮守の例大祭で、三百年以上に渡り継承されてきた。
 土曜日は本祭りに先立ち、矢を放ち魔を退散させる蟇目(ひきめ)の儀、大的式(おおまとしき)といった弓の儀式が奉納される。また宵祭りとして、午後五時から伝統芸能伝承館森舞台にて、県指定民俗文化財の登米薪能(とよまたきぎのう)が奉納される。
 翌日は本祭となり、武者行列、女性達の美しいよさこい踊り、稚児行列などが街を練り歩く。子供達の登米囃子の音色とともに、各町内会から繰りだす巨大な山車はおよそ一三台。和紙を使った張子は今にも飛び出してきそうな勇ましい虎や、手足を動かし泡を吹くカニ、西遊記などをテーマとした親しみやすいものだ。
 町中あげて盛り上がる宮城の秋の風物詩である。
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綱木之里大名行列 Tsunagi-no-sato-daimyou-gyouretsu Tsunaginosato Daimyo’s Procession

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 綱木之里大名行列(つなぎのさとだいみょうぎょうれつ)は宮城県登米市東和町に伝承される行列練り。永禄七(1564)年、鳩岡城主の葛西民部少輔(かさいみんぶのしょう)が八幡神社を再建し、神輿等を寄進し祭日にやぶさめを奉納したときより始められ、現在は毎年九月中旬に開催されている。
 午前一一時にホラ貝と花火が鳴り響き、一行は八幡神社を出発。重々しい袴姿の露払い、騎馬先陣、道中奉行を先頭に、おみこし担ぎ、稚児行列、京都祇園囃子の流れを汲む打囃と総勢約120人ほどが続く。天狗と獅子が踊りながらやってきて、無病息災と子供たちの頭を噛むしぐさをしてみせる。
 左右に大きく体を揺らしながら進む奴たちは時折立ち止まり、手にしていた長さ三メートルを超える毛槍を威勢良く相手に投げ渡す。この「お取り替え」と言われる動作に、沿道からは歓声が上がる。
 やわらかい音色が響く雅やかなお練りだ。
 
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2008/1/8


大豆坂地蔵尊 Oomamesaka-jizou-son Omamezaka Jizo-son

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 大豆坂地蔵尊(おおまめざかじぞうそん)例大祭は、毎年四月に宮城県志田郡三本木町で開催される祭りである。大豆坂地蔵尊は、三本木町の国道4号線沿いにある。明和二(1765)年、放火の大罪を犯し、処刑された者の後世を弔う為に彫刻されたもので、高さ4メートルと日本一の地蔵尊である。
 傍らには子供のお地蔵様を両脇に抱いている地蔵尊もあり、無病延命の子育て地蔵として、子どもの健康や成長を願う家族連れの参詣が多いとされる。
 例大祭では、午前中から稚児行列や地域の団体約二〇〇名が参加する交通安全パレードなどが行なわれる。華やかな装束をまとい、母親と手をつないで晴れやかに歩く子供たちには、沿道から拍手がおこる。
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2007/11/5


野村乙亥大相撲 Nomura-otoi-oozumou 

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 四国カルストの急峻な山々に囲まれた愛媛県西与市野村町に、百五十余年の伝統を誇る野村乙亥大相撲(のむらおといおおずもう)がある。地域の一大行事で、開催中は町中が興奮と熱気に包まれる。
 相撲の歴史は大火災から始まった。江戸時代の嘉永五(1852)年、出火した炎は町の東地区を中心に数百棟を焼き尽くした。町民は愛宕山に火除けの神様として愛宕神社を祀り、旧暦十月の乙亥の日を選んで、三十三結びの火鎮祈願相撲を行ったという。
 現在は大相撲幕内力士、幕下上位力士、アマチュア相撲界の有名大学選手、実業団選手を招待し、各地区代表の一般選手や町内の小中高生が参加して、二日間にわたり熱戦が繰り広げられる。個人戦・団体戦のほか、稚児の土俵入り、関取の相撲指導、初切(しょっきり)などが行われる。
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2007/10/4


馬見岡綿向神社 日野祭 Umamioka-watamuki-jinja Hino-matsuri Hino Festival at Umamioka Watamuki Shrine

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 馬見岡綿向神社(うまみおかわたむきじんじゃ)は、滋賀県蒲生郡日野町村井にある神社である。祭神は、天穂日命(あめのほのひのみこと)、天夷烏命(あめのひなどりのみこと)、武三熊大人命(たけみくまうしのみこと)。
 欽明天皇六(545)年、綿向山の頂上に祠を建てたのがはじまりと伝えられ、延暦一五(796)年、里宮として現在の地に遷して祀られた。
 日野祭(ひのまつり)は、馬見岡綿向神社で毎年五月二~四日の間に行われる祭りである。
 嘉応二(1170)年から始まった春季例大祭で、3人の神稚児や3社の神輿、日野商人が贅の限りをつくして仕立てた絢爛豪華な16基の曳山車を中心に、古式ゆかしく繰り広げられる祭礼は、県の無形文化財に指定されている。
 馬見岡綿向神社の日野祭は、古代の儀式と慣例を今なお引き継いだ伝統を持つ、湖東地方最大の華やかな祭である。
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