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2008/1/8


旧取手宿本陣 Kyu-toridejuku-honjin Old Toridejuku Honjin

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 貞享四(1687)年に、水戸街道を通る大名などが利用する宿である本陣として取手宿の名主である染野家が選ばれた。それが旧取手宿本陣(きゅうとりでじゅくほんじん)である。
 寛政六(1794)年に一度焼失、翌年に立て直されたものが現在の母屋である。
 寄棟茅葺、桁行19m、梁間13・3mの大型の民家だが、式台玄関の上部に入母屋破風を造っており、重厚感を出している。
 内部は、宿泊を行う本陣部分と住宅部分が分かれており、三間続きの間や、書院造りの上段の間等があり、風格を重んじた造りとなっている。
 敷地内には、第9代水戸藩主徳川斉昭が天保一一(1840)年に水戸に戻る途中の利根川での船で詠んだ唄「指して行 さほのとりての渡し舟 おもふかたへは とくつきにけり」と、石に刻んだ歌碑が残っている。この歌碑は、後に江戸屋敷から届けられたもので、水戸徳川家と染野家のゆかりを示している。
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2007/10/15


四国村 Shikoku-mura Shikoku Minka Museum

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 香川県高松市北東部にある屋島(やしま)といえば、劣勢の平家が新たに本拠地を構えた地であり、名将・源義経との間に壮絶な源平合戦が繰り広げられた地である。
 四国村(しこくむら)は、この屋島山麓に四国各地の歴史ある建物、民家を移築・復元した野外博物館である。
 四国各地から集められた伝統的家屋や市指定、県指定の文化財である農村歌舞伎舞台、旧丸亀藩斥候番所、米蔵であった旧丸亀藩御用蔵などを、ゆっくりと散策することができる。
 また、南の山の斜面に建てられている美術館「四国ギャラリー」には多数の美術品が展示され、バルコニーからは「水景庭園」も楽しめるようになっている。
 特に、農村歌舞伎舞台は、現代ではなかなかお目にかかることが出来ない貴重な保存建物である。
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2007/10/5


高山のメンヒル Takayama-no-menhiru 

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 大洲市西方の高山(たかやま)地区には、不思議な物体が存在する。「高山のメンヒル」と呼ばれる巨石で、「メンヒル」とはラテン語で「長い石」を意味する。高山寺山の中腹にある民家内にデンと構えるこの巨大な石は、地面からの高さ4・75m、幅2・3m、厚さ0・65mもあり、先端が丸くなった緑色片岩である。石の正面は真東を向き、その遠方には左に神南山、右に冨士山(如法寺山)が並び、山の向こうから太陽が昇る。実際にこの石が何に使われたものか分かっていないが、2千数百年前、古代人が信仰のシンボルとして立てたのではないかとみられている。フランスのブルターニュ地方にも、同様のものが多く存在するという。石の大きさは東洋一という説もあるが、確認されていない。昭和三一(1956)年、大洲市の史跡に指定された。
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2007/8/17


大里松原 Oozato-matsubara Ozato Pine Groves

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 大里松原(おおざとまつばら)は、徳島県海部郡海南町にある、弓状に四kmも広がる白浜青松百選の海岸である。
 延々と続く松林は、ざっと五万本が植わっている。海岸線に沿って美しい曲線を描く松原は、観賞用だけではなく潮害防備保安林、保健保安林でもあり、荒れる海から隣接する民家を守っている。
 松原の歴史は、江戸中期ごろにさかのぼる。当時の木はほとんどないと言うが、今でも地元の住民らが、年に三回の害虫防除と二回の下草刈りを欠かさない。
 この浜に立ち、潮風に吹かれ、波の音に身をゆだねれば、それだけで心が洗われていくようである。絶好の磯釣りポイントでもあり、海部川河口の波はサーフポイントとしても有名である。
 大里海岸はアカウミガメの産卵地でもあり、産卵の始まる初夏の満月の夜には観光客も訪れる。
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2007/8/3


椎葉神楽 Shiiba-kagura The Shiiba Kagura Dance

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 椎葉神楽(しいばかぐら)は、宮崎県東臼杵郡椎葉村に伝わる神事である。国の重要無形民俗文化財に指定されている。
 椎葉では、昔から焼畑・狩猟時代の山への信仰が続いており、椎葉神楽は山への祈りの神楽として伝わっている。
 26地区で伝承されており、民家や神社を舞台にして33番を基調に夜通し舞われ、酒やご馳走をたっぷり振る舞われる。
 例年11月中旬~翌年1月下旬にそれぞれの地区の神社などに奉納されており、地区ごとに異なった特長を持っている。
 一般的な神楽との違いは、神に語りかける唱教(しょうぎょう)が重視される事にある。椎葉では日常の所作のひとつひとつに、山の神に祈りや感謝を捧げる言葉が受け継がれており、神楽も同様に言葉が大きな意味をもつ。
 椎葉神楽は、地域に伝承される伝統の神楽である。
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2007/7/12


メノウ浜 Menou-hama Meno Beach

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 メノウ浜は、北海道の礼文島、礼文郡礼文町香深村にある元地海岸(もとちかいがん)の別名である。
 メノウの原石が海岸に打ち上げられているので、この名前がついたと言われている。
 元地海岸は、東海岸の拠点である香深の反対側に位置し、一帯には民家が軒を連ねる。
 海岸には、小石や砂利に混じって乳白色のメノウ原石が見つかる事もある。沖合いにメノウの岩床があり、海が荒れた後は大きな原石も打ち上げられるという。
 海岸沿いには、地蔵が手を合わせて拝んでいるように見える所から名付けられた、50mほどの岩がそそり立つ地蔵岩が見える。
 地蔵岩は学問・縁結びにご利益があると言われ、岩の裂け目には無数のお金が挟まれている。
 メノウ浜は、メノウの原石が打ち寄せる小さな浜である。
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2007/7/10


岩手 旧後藤家住宅 Iwate Kyuu-gotouk-e-jyuutaku 

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 江戸時代の豪農の住宅をそのままとどめる貴重な遺構、「旧後藤家住宅」。岩手県奥州市前沢区七日町に所在する。
 建立年代は定かではないが、解体工事中に地下掘立柱の穴底から発見された笠塔婆の残骸に、元禄八(1695)年の記録があることから、江戸時代の建造と推測されている。
 旧後藤家住宅は、南部の曲り家式家屋(平面がL字形をし、突出部が広い厩となっている構造)、東北地方における民家の形式を代表する家屋。間取りは、全体の半分を占める土間と、床上に二列の部屋を配した平面からなり、上・下屋から構成されている。土間には、断面多角形の太い上屋柱が林立している。直家、寄棟茅葺の原形をとどめ、盛土や無双窓など、日本の民家の建築史上大変貴重なものである。
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2007/7/4


養蚕民家 Yousan-minka 

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 あまり知られていない事だが、北海道の東旭川町は、明治末期から大正初期にかけて全道屈指の養蚕地区として知られていた。この頃の養蚕民家(ようさんみんか)を復元したのが、東旭川町瑞穂にある「旧松浦家住宅」である。
 開墾前から野生の桑が多く生息し、養蚕に適していた東旭川町。明治三十四(1901)年頃から、養蚕が盛んであった福島県大田村周辺から団体入植が行われ、副業として大きく発展した。最盛期の大正八(1919)年には310戸にも及んだという。
 旧松浦家住宅は現存する唯一の養蚕民家であり、郷里福島の養蚕民家を模して復元されたものである。
 茅葺の屋根は「片あずま」と呼ばれる大胆なデザインで、寄棟屋根の一部を切り落とし、そこに開口部を設けた造りとなっている。
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