NIPPON Kichi - 日本吉

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2008/4/15


人形ケース けやき Ningyoukeesu Keyaki 

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 趣味の人形や想い出の作品、あるいは記念の品などを飾るのに最適な、おしゃれな高級ガラス人形ケース。
 使用されている木材は、木目が美しく、磨くと著しい光沢を生じるけやきである。
 日本産の、本物のけやきを使用しているので、堅くて摩耗に強く、見た目にも立派である。
 かぶせ形式となっているガラスケースは、結納品の高砂人形などを飾るのにも丁度良く、大変高級感溢れる品となっている。
 ケースは、和風民芸家具でありながら、和風の部屋にも、洋風スタイルの部屋にもとけ込んでくれる、落ち着いた作りとなっている。
 けやき製の人形ケースは、日本が誇る職人によって作られた、美しい人形をより引き立たせてくれるガラスケースである。
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三井八郎右衛門邸 Mitsui-Hachirouemon-tei Residential House of Hachirouemon Mitsui

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 東京都小金井市「江戸東京たてもの園」の三井八郎右衛門邸は、昭和二七(1952)年に麻布笄(こうがい)町(現在の港区西麻布三丁目付近)に建てられた。
 一階に客間、食堂、厨房、配膳室など、そして二階に夫婦の寝室、浴室、仏間などがある間取りとなっている。
 戦火で焼失した三井総領家の邸宅建設にあたり、各地の三井家の建物から部屋が移築され、建築部材や石材が集められた。京都にあった客間は明治三〇(1897)年頃、そして食堂、土蔵なども明治期のものである。
 和室の客間はカーペット、テーブルに椅子というスタイルで、天井には剪綵(せんさい)と呼ばれる色糸や絹布などで作った細工物が施されている。階段上には、今では珍しいチェコガラスの豪華なシャンデリアがあり、すぐ隣の仏間の襖の引手にはターコイズカラーの七宝焼がはめ込まれている。
 この建物は、和と洋を拮抗させた空間に満ち溢れ、まさに江戸から明治、昭和の三井家のエッセンスがいたるところに凝縮されている。
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2008/3/10


形彫根付 Katabori-netsuke 

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 形彫根付(かたぼりねつけ)とは、根付のうち、木や牙歯類、陶器、金属、漆、琥珀、珊瑚類、ガラスなど、様々な材料を用いて立体的に人や動植物などを象ったものをいう。
 根付は、江戸時代にお金を入れるための巾着(きんちゃく)や煙草入れ、矢立て、印籠(いんろう)などの提げ物(さげもの)が帯から落ちないよう、紐で留めるために用いた留め具のこと。おおむね一九世紀半ばまでのものを古根付(こねつけ)、それ以降のものを現代根付(げんだいねつけ)と呼んで区別している。
 江戸時代初期は実用性を重視した簡素なものが多く、時代と共に装飾性も重視されるようになり、江戸時代中期に入って爆発的に流行した。明治時代に入ると海外から高い評価を得て輸出が盛んになり、その後、一時衰退に向かうが、近年になって様々な分野から技術者や多種多様な素材が参入。再び注目されつつある。
 今日は、古根付・現代根付ともに日本独特の文化を伝える美術品として扱われ、特に海外での評価が高い。
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2007/12/14


照国神社 Terukuni-jinja 

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 照国神社(てるくにじんじゃ)は鹿児島市中心部にある、島津家二八代当主・島津斉彬(しまづなりあきら)を祭神として祀る神社である。
 島津斉彬は曽祖父の影響をうけ、砲術、科学技術、地理学など西洋文化に明るく、シーボルトとも交流があったとされる。藩主就任から亡くなるまでの七年間、富国強兵、殖産興業を掲げ近代洋式工場群の建設を興し、のちの日本の近代化に大きな影響を残す事となる。薩摩切子も事業の一環であり、高度なガラス工芸へと発展した。
 安政五(1858)年の急死後、勅令により照国大明神の神号が授与され、名刹南泉院の跡地に照国神社として社殿が建立された。
 境内には島津斉淋、久光、忠義の名士像が立っている。
 六月中旬には第二代藩主・島津光久の灯した献灯を起源とする六月灯という祭りが市内の各所の寺社で開催される。照国神社は最も規模が多く、約一千個の灯籠が参道に並び、幻想的な風景を映し出す。
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2007/11/9


七宝焼き Shippou-yaki 

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 七宝焼き(しっぽうやき)とは、日本伝統の工芸技法である。
 陶磁器のように土を焼くのではなく、土台に金、銀、銅などの金属を用いてその表面にガラス質の釉薬(ゆうやく)を施し、短時間で焼成する。
 七宝焼きは中近東で生まれ、シルクロードを通って中国から日本に伝わったとされている。
 かつては刀装具や釘隠し、襖の引き手などの装飾に使われていた。しかしその技術は各家の秘伝であり、万人に広まることはなかった。
 京都の平田道仁(ひらたどうじん)が、江戸時代初期に朝鮮半島の工人に七宝焼きの技術を学んだと言われている。また、江戸時代後期には尾張の地で梶常吉が独力で七宝焼きの技法を解明し、「近代七宝」が始まったとされる。
 七宝焼きは、金・銀・瑠璃・しゃこ・めのう・赤珠の七種の宝石の美しさを表現したと言われる伝統的な工芸品である。
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2007/11/7


とんぼ玉 Tonbo-dama Dragonfly Ball

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 「とんぼ玉」-この風変わりな名前を持つ小さな玉のことをご存知だろうか。とんぼ玉とは、簡単に言えば色文様の付いたガラス玉で、紐を通す孔の空いたビーズのことである。漢字で書くと「蜻蛉玉」、欧米語では「glassbeads」と呼ぶ。
とんぼ玉の歴史は古く、メソポタミア文明やエジプト文明の時代にまで遡る。そして現在まで3500年に渡り世界各国で多種多様なとんぼ玉が作られ、多くの人々を魅了している。
 日本には江戸時代に南蛮貿易により伝来。表面に円文様をあしらった、とんぼの眼を思わせることから「とんぼ玉」と呼ぶようになった。以来400年あまり、様々な製法や表現方法が発達し、今では多数の現代作家のもとで美しいとんぼ玉が作られている。
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2007/10/19


おはじき遊び Ohajiki-asobi Ohajiki (Flat Marbles) Game

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 おはじき遊びとは、丸い平たいガラス玉を使用した、女の子に好まれる遊びである。
 直径が12ミリ前後の小さなガラス玉を指で弾いて遊ぶので「おはじき」と名付けられた。
 日本でおはじきを使った遊びが行なわれるようになったのは奈良時代の事で、この時代に中国から伝わった遊びとされている。古くは小石を用いて、石弾き(いしはじき)とも呼ばれていた。
 当初、主に宮廷での大人の遊びとして広まったが、江戸時代に入ってから女の子の遊びとして一般化し、明治時代後期に現在のガラス製のおはじきになった。
 遊び方はいろいろあるが、基本の遊びはおはじきを指ではじいて、当たったおはじきはもらえるというもの。最終的には、持っているおはじきの数で勝敗を決める。
 おはじき遊びは、おはじきの見た目の美しさとゲームの両方を楽しめる歴史のある遊びである。
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2007/10/5


大島 シュードタキライト Ooshima shudo-takiraito 

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 シュードタキライトは、断層が高速で動いた時に両側の岩石が摩擦熱によって溶け、それが急激に冷えて固まってできる黒色ガラス質の岩である。古い時代に地震を発生させた震源断層そのものであり、「地震の化石」と呼ばれる。
 大島(おおしま)は、八幡浜市(やわたはまし)沖合の宇和海に浮かぶ5つの島からなる。大島本島の南端部に、約500mにわたって分布する大島変成岩の最下部には、シュードタキライトが発達している。これを含む断層帯は3帯あり、それぞれ幅2~3m、長さ10~50mで国内最大級。今から5~6千万年前の、当時の中央構造線の活動に伴って形成されたと考えられている。
 大島のシュードタキライトは、1995年に発見された。規模が大きく学術的にも非常に価値の高いものであることから、市の天然記念物に指定されている。八幡浜市図書館の入り口には、シュードタキライトが展示されている。
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