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2008/9/1


岡崎石工品 Okazaki-sekkouhin 

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 岡崎石工品は一六世紀末、当時の城主が岡崎城築城のため、優秀な石工を大坂から移住させたのが始まりといわれている。岡崎近郊の山から良質の花崗岩(みかげ石)が豊富に産出したこと、全国の諸大名がこの地の石工品を徳川家にゆかりのある神社仏閣に競って上納したこと、矢作川を利用して重い石工品を江戸や大坂まで運搬できたことなどの好条件に恵まれ、技術の優秀さとあいまって発展してきた。
 茨城県の真壁、香川県の庵治とともに、日本三大産地と称される。昭和五四(1979)年には、春日型灯籠、六角雪見型など四十三品目が、伝統的工芸品に指定された。
 岡崎の石工たちは今日も、その高度な伝統技術で繊細かつ優美な曲線を生み出し、静かな情熱をこつこつと石に刻み続けている。
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2007/11/1


栃木 平和観音 Tochigi Heiwakannon Tochigi Heiwa Kannon

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 栃木の平和観音は、栃木県宇都宮市大谷町にある、大きな石仏である。
 昭和二九(1954)年、第2次世界大戦における日米両軍の戦没者の冥福を祈り完成、昭和三一年に開眼した、大谷石の採石場の跡に作られた観音仏である。
 石工の上野浪造が基礎を作り、彫刻家の飛田朝次郎が手彫りで穏やかな表情に仕上げた。
 平和観音は、高さ26.93m、胴回り20mもの大きさで、胸の高さには宇都宮市内を一望できる展望台がある。
 平和観音像の左手の側にある崖にはトンネルがあり、大谷寺側と行き来出来たが、崩落の恐れがあるため近年取り崩された。
 近隣には、大谷観音で有名な大谷寺もある。
 平和観音は、石の町大谷を象徴する巨大観音像である。
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2007/10/31


石峰寺五百羅漢 Sekihouji Gohyakurakan 

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 石峰寺(せきほうじ)は、正徳三(1713)年、黄檗宗(おうばくしゅう)を開いた隠元の孫弟子に当たる、六世・千呆禅師(せんがいぜんし)が創立した寺である。
 本堂裏の山中には、江戸時代の画家である伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)が、晩年に隠棲者として過ごしたこの寺で下絵を描き、石工に彫らせた五百羅漢がある。
 五百羅漢の「羅漢」とは、釈迦の弟子のことで、優秀な弟子五百人という意味である。この五百羅漢は、釈迦誕生から涅槃(ねはん)、すなわち死に至るまでの場面構成となっている。
 本堂の脇に羅漢道があり、すぐ右手に伊藤若冲の墓と、書画に秀でた貫名海屋(ぬきなかいおく)の筆塚がある。
 羅漢山は明治以降荒廃していたが、当時の住職・龍潭(りゅうたん)和尚の篤志により、草を払い、一つ一つの石仏を見られるように整備された。
 若冲の度量が広い筆法で下絵を描かれた石仏は、長年の風雨で丸みを帯びて苔むし、表情や姿態に一段と趣きを深めている。
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2007/8/9


仙台すずめ踊り Sendai-suzume-odori Sendai Sparrow Dance Festival

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 仙台すずめ踊り(せんだいすずめおどり)は、宮城県仙台市宮城野区にて7月の終わりに行われている祭りである。
 慶長八(1603)年、仙台城新築移転儀式後の宴席で、泉州・堺出身の石工が、伊達政宗の御前で、即興で披露した踊りがはじまりと言われている。
 小気味良いテンポ、躍動感あふれる身振り、跳ね踊る姿が餌をついばむ雀の姿に似ている事や、伊達家の家紋「竹に雀」にちなみ、すずめ踊りと呼ばれる様になった。
 戦前までは石切町の石工の子孫によって伝承されてきたが、近年、市民の間に広がり、多くのグループが創られるようになってきた。
 現在は、扇子を体の前で大きく動かし、足を左右にぴょんぴょん跳る「はねっこ踊り」を基本とし、各グループそれぞれに工夫を凝らした振り付けを創作して技や美を競い合っている。
 仙台すずめ踊りは、夏の風物詩として親しまれている踊りである。
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2007/4/11


高鍋大師 Takanabe-Taishi Takanabe Taishi

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 高鍋大師は、宮崎県児湯郡高鍋町にある石仏群である。
 高鍋町の北部、小高い丘の上に6世紀頃、この地を支配した有力者たちが眠る持田古墳群があるこの石仏は古墳の霊を慰めるために岩岡保吉が半生をかけて古墳群の一角に建造したものである。石仏群700体以上が鎮座する高鍋大師である。
 明治二二年に生誕した保吉は、40歳で家業を子どもに譲ると、自身は石仏づくりに専念する。
 古墳を守り、ここに葬られた人々の霊を慰めたいという思いで、昭和六年に開山し、大分の臼杵から呼び寄せた石工に学び、自らも石像を彫り続けた。
 不動明王、稲荷大神、十二薬師如来、十一面観世音、天照大神、スサノオノミコなどの巨像の他、その周辺には大小様々な像が立ち並ぶ。鎮魂、祈り。それを形作り伝えてきた古代からの人々の思いを「今」のこととして実感できる稀有な場所である。
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2007/2/15


大野寺 Oono-dera Ono Temple

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 大野寺は奈良県宇陀市室生区に位置する真言宗室生寺派の寺院。山号は楊柳山。室生寺の末寺であり、西に位置したことから「室生寺の西門」とも呼ばれた。
 白鳳九(681)年、役行者が開基。天長元(824)年、空海が堂宇を建て慈尊院弥勒寺と称したが、地名から大野寺と称されるようになった。
 宇田川を挟んだ対岸の屏風ケ浦に刻まれた弥勒下生線刻大磨崖仏は、承元元(1207)年に宋人の石工、伊行末(いのゆきすえ)により作られたもので、日本最大の線刻磨崖仏である。
 境内には樹齢300年になる小糸枝垂桜の巨木を始め、紅枝垂桜が多く立ち並び、春先には満開の花が咲き誇る。
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2007/2/13


石垣 Ishigaki Stone Walls

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 国境などの境界線を定めるものや、城や砦を守る為に石を組み上げて作られた柵や壁で、城や砦の建物自体の基礎として用いられる事も多かった。石垣は、古来からあらゆる文明で見る事が出来る。手法も、自然のままの石を積み上げたものや割った石や切った石を美しく組み上げて見栄えを良くしたもの、様々な種類の石を組み合わせて力を分散させ、排水を良く堅固にしたものなどがある。
 日本では、城郭などの石垣の建設に、穴太衆(あのうしゅう)などの近江国の石工の集団が有名であり、彼らの組んだ石垣は町並みに美しい特徴を与えている。また、琉球諸島などの伝統的な村落で、台風の被害を防ぐ為に、屋根の上に石を積んだり、家の周りに石垣を積んだりという事が行われている。
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2007/2/12


大分 五百羅漢 Ooita Gohyaku-rakan The 500 Rakan of Oita

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 五百羅漢というと、612年の歴史を持つ曹洞宗の寺院・東光寺には15代住職の玉峰道琳和尚が当時の世相から住民を救うため、日出の石工・吉野覚之丞に依頼して1863年からの19年間を費やして521体の羅漢像を完成させた。元来、羅漢は異相であるが、当時の羅漢には美笑醜渋の四面相があり、ここのものは表情豊かで個性的。また、本堂裏には16羅漢と仏足石が安置されている。東大寺の仏足石を模したもので、長さ1尺6寸と全国的にも数少ない貴重なもの。
 耶馬渓の羅漢寺は、険しい岩山の中腹に位置し大化元年(645年)、印度僧により建立される。家内安全、学業成就の御利益を求め参拝者が多い。洞窟には3777体以上もの石仏が安置され、中でも無漏洞の五百羅漢は有名。大小多数のしゃもじにも驚かされる。参道入口には青の洞門を掘った禅海和尚の遺品を納めた「禅海堂」がある。
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