NIPPON Kichi - 日本吉

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2007/11/15


吉田啓子 Yoshida Keiko Keiko Yoshida

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 浅草・鷲(おおとり)神社の酉の市のみで販売される縁起物の宝船熊手の製造販売「よし田」(台東区千束)大女将。大正一〇(1921)年生まれ。日本職人名工会認定者。
 「よし田」は現在、昔ながらの手法で宝船熊手を作り続けている唯一の店で、吉田啓子(よしだけいこ)さんは江戸時代から伝わる代々の技法を受け継ぐ職人である。鳶職であった夫が始めた宝船熊手の製造を内職のつもりで手伝ったことが職人となるきっかけ。夫が亡くなって以降は、「よし田」の女将として製造販売を取り仕切ってきた。
 「よし田」の宝船熊手は竹と紙という天然素材だけを使ったもので、竹割り、下絵の型抜き、色つけ、面相(顔描き)、外塗り、刺し込みなどすべて手仕事で行われている。この技法は、現在の女将で長女の吉田京子さんが受け継いでいる。
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宝船熊手 Takarabune-kumade Takarabune-kumade (Treasure Ship Rakes)

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 毎年一一月に催される酉の市。その発祥の地とされる浅草・鷲(おおとり)神社の酉の市だけで販売される縁起物が宝船熊手だ。製造販売している店は現在、浅草「よし田」のみ。サイズは二寸から一尺三寸まであり、酉の市が終わった日から一年かけて作られる。
 型で切り抜いた紙に線を描き、絵の具で彩色。面相(顔描き)をすませた人形を宝船に刺し込み、全体のバランスを整えれば完成。特に難しいのが表情を描き分けなければいけない面相だ。この手描きの手法は江戸時代から代々受け継がれてきたもの。現在は「よし田」大女将の吉田啓子さん、長女の京子さんが継承している。
 七福神や財宝、鯛などが鮮やかに彩られ、注連縄の先端を船の舳先に似せて熊手全体が宝船に見立てられているのが特徴。全体に赤い色を使っていることから「赤物」と呼ばれている。鷲神社の酉の市で最も人気の高い縁起物のひとつである。
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2007/6/21


十一月 霜月 Juuichigatsu Shimotsuki November, Shimotsuki

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 一一月は別名を霜月(しもつき)と呼ぶ。
 霜が降りる時期を迎えるため霜月と呼ばれているが、次月の十月の別名である神無月(かんなづき)を上の月と考え、その下の月ということから下月が転じて霜月となった説もある。また、作物が実り収穫される時期であることから食物月(おしものづき)の略と言われることもある。
 一一月にはさらに別名として、霜が始めて降る「霜降月」、出雲から神が戻る「神楽月」、雪がもうすぐ振ることから由来とされる「雪待月」などもある。
 三日には文化の日、一五日には七五三、二三日には勤労感謝の日という祝日が定められており、両日とも収穫を終えて実りを感謝することから始まった日とされている。
 また、十干十二支方で酉にあたる酉の日には、各地の鷲神社に商売繁盛や開運、授福等を祈る祭礼である酉の市(とりのいち)が行われる。
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2007/4/26


縁起物 熊手 Engimono Kumade 

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 熊手は、鷲が獲物をわしづかみすることになぞらえ、その爪を模し作られたとされる。「福徳をかき集める、鷲づかむ」という意味が込められている、縁起物の代表である。
 「酉の市」の日には、おかめや招福の縁起物を飾った「縁起熊手」を売る露店が立ち並び、市を開催する寺社からは小さな竹熊手に稲穂や札をつけた「熊手守り」が授与される。福を「掃き込む、かきこむ」との洒落にことよせ、「かっこめ」とも呼ばれている。
 熊手は熊手商と「買った(勝った)」、「まけた(負けた)」と気っ風の良いやり取りを楽しんで買うものとされ、商談が成立すると威勢よく手締めが打たれる。また年々大きくしてゆくものとされており、大小様々なものが売られている。
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2006/12/20


酉の市 TorinoIchi Tori-no-Ichi Fairs (Rooster Fairs)

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 毎年十一月の酉(とり)の日を祭日として、東京浅草の酉の寺(鷲在山長國寺)や各地の鷲神社で執り行なう、一年の無事に感謝し、来る年の幸を願うお祭。お酉様ともいう。
 歴史は江戸時代からで、原型は花又村(現在の足立区花畑にある大鷲神社)において、農民が鎮守に感謝する収穫祭であり、鷲大明神に鶏を奉納していた。
 その後、花又村、勝専寺(足立区)と浅草の長國寺の3箇所が酉の市発祥の地として名を知らしめた。
 明和8年(1771年)、長國寺に「妙見大菩薩」が移され、一躍高名な酉の寺として認知される。妙身大菩薩は北斗七星の第七星、破軍星を戴いたものとされており、長國寺の寺紋も「月星紋」「七曜紋」と宇宙(そら)と深い関係を持つ象徴となっている。
 お祭りでは、縁起物として人気の高い「縁起熊手」があり、運を「かっこむ」(かきこむ)福を「はき込む」とされ、開運招福・商売繁盛を願うもので、いかにも「シャレ」を好む江戸っ子らしさが伺える。
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